【中原中也 詩の栞】 No.62 「蛙声」(詩集『在りし日の歌』より)

天は地を蓋(おお)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
―あれは、何を鳴いてるのであらう?

その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋ひ、
そして蛙声(あせい)は水面に走る。

よし此の地方(くに)が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶(なお)、余りに乾いたものと感(おも)はれ、

頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

【ひとことコラム】夜通し鳴き続ける蛙たちの声は生命感に溢れていますが、それが響き渡るのは、上空を暗い雲に覆われた小さな池という閉ざされた空間です。詩の全体に漂う重苦しさに、異郷の地で芸術だけを拠り所として暮らすことに限界を感じていた、当時の中也の心境が反映しています。 

中原中也記念館館長 中原 豊

© 株式会社サンデー山口