神戸空襲79年「やっと名を刻めた…ごめんな」4歳で亡くなった弟へ 大倉山公園・慰霊碑で刻銘式

堺井昭武さん 4歳で犠牲になった弟・昭光さんの遺影とともに 刻まれた氏名を指さす<2024年6月2日午前 神戸市中央区・大倉山公園>

太平洋戦争末期に8000人以上が犠牲となった神戸空襲。

アメリカ軍のB29爆撃機が神戸上空に襲来、街を襲ったのは1945(昭和20)年2月~8月に少なくとも5回、特に3月と6月の爆撃による被害は甚大だった。その犠牲者の約7割の名前は判明していない。

【画像】神戸空襲79年 大倉山公園・慰霊碑で刻銘式

こうした中、市民団体「神戸空襲を記録する会」が6月2日、大倉山公園(神戸市中央区)の「いのちと平和の碑」で刻銘追加式を開いた。新たに判明した犠牲者の名前は36人。

2013(平成25)年に除幕式を行い、翌2014年から2年ごとに犠牲者の氏名が刻まれ、今回で計2267人となった。

この日、神戸市須磨区で当時4歳で亡くなった堺井昭光(さかい・あきみつ)さんの名も新たに加わった。6月の空襲で、母親に手を引かれて自宅から逃げる際に、焼夷弾に含まれていた油脂を浴びて全身に大やけどを負った。「のどが熱い、水が欲しい、水、水…」と苦しみながら亡くなったという。この情報を会に寄せたのは、昭光さんの兄・昭武(てるたけ)さん(88・兵庫県尼崎市)。

神戸市立若宮国民学校3年だった昭武さんは当時、兵庫県たつの市に集団疎開していた。8月の終戦後、疎開を終えて帰神、神戸駅に迎えに来た父親から、「この空襲で弟(昭光さん)が亡くなった」と聞いた。「その場(空襲)にいなかったので、実感がわかなかった。しかし、この歳になって、なぜ弟は亡くなったんだろう、さぞかし、母はいたたまれない気持ちだったろうと思うようになった」と打ち明けた。

そして、ようやくその名を刻むことができた弟・昭光さんに「長い間、ごめんな」と語りかけた。今、ウクライナやイスラエルなどで緊迫した情勢を見るにつけ、昭武さんは心を痛める。「それにもかかわらず、日本では、太平洋戦争のことが忘れ去られようとしている」。戦争の記憶の風化を恐れている昭武さん。「もっと語り継がなければ」と話した。

記録する会の小城智子・事務局長は「今世界で起きている戦争について、もっと目を向けなければならない。神戸空襲のうち、6月5日の爆撃は、野坂昭如さんの『火垂るの墓』の1シーンにもなっているほど大きな被害を受けた。79年経ち、本当に平和な世の中にしていかねばならないし、お互いを尊重する社会を作っていかなければと思う。平和を作っていくという意識を忘れてはいけない。8000人を超える犠牲者のうち、まだ判明していない方、一人ひとりに人生があった。どんな情報でもいいので寄せてほしい」と呼び掛けた。

【情報提供】神戸空襲を記録する会 電話078ー891ー3018

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この日、兵庫県立神戸鈴蘭台高校(神戸市北区)の福祉活動部に所属する生徒らが、太平洋戦争の体験談をもとに制作した紙芝居「愛犬はなのお話」を大倉山公園で披露した。生徒らは戦争体験者から、戦時中の飼い犬の状況を聞き取った内容をまとめ、昨年(2023年)夏、水彩絵の具で描くなどの作業に取り掛かり、今年2月に完成した。

この物語は戦時中、家族4人で「はな」と名付けた犬を飼っていたが、ある人物が突然やって来て、「日本はアメリカに対抗し、重大な局面を迎えている。兵士たちのために、飼い犬を差し出すように」と動員をうながされる。母親はひざまづき、「この子(はな)は家族なんです。この子だけは連れて行かないで」と懇願する内容だ。

生徒らは、このテーマソングも作った。「涙あふれて 何も見えない さよならの風景」「忘れない あの戦争のことを」とつづっている。

絵本や紙芝居の制作は、2022年2月のロシアによるウクライナへの軍事侵攻がきっかけだったという。生徒の一人は、「戦争や平和について考える機会をつくりたかった。涙を流す方もいて、戦争を体験した方々にとってはとてもつらい体験だったんだと実感した。戦争という悲惨な出来事を風化させないよう、これからも語り継いでいきたい」と気持ちを新たにした。

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