世界でも有数の長寿国である日本ですが、最期の最期まで健康に過ごせるかどうかは別問題です。「まだまだ元気」と思っていても、ある日突然、病が降りかかってくることも……。本記事では、Aさんの事例とともに日本の高齢者に立ちはだかる壁について、社会保険労務士法人エニシアFP代表の三藤桂子氏が解説します。
平均寿命と健康寿命
内閣府の「2024(令和5年)版高齢社会白書」によると、健康上の問題で日常生活に制限のない期間(健康寿命)は、2019年時点で男性が72.68年、女性が75.38年となっており、平均寿命は男性81.41年、女性が87.45年であり、その差は男性で8.73年、女性で12.07年となっています。
人生100年時代ですが、前半と後半では過ごし方は変わってきます。年金を受け取るころの歳になると、健康上の問題で日常生活になにか影響が出てくる人が多いです。人生の最期にいい人生だったと思う人がどのくらいいるのでしょうか。
現在80歳の元鉄工業社長Aさんの事例をお伝えします。
苦労の末、会社を立ち上げ法人化させた父
現役時代のAさんは、若いころはなにをやってもひとつの仕事先に長く務めることができず、転職を重ねた時期もありました。
ですが、ある転職先の鉄工業の社長から、「お前の性格は、将来社長になる器だな」と言われたことも。何気ない会話のなかのほんの一部分でしたが、この一言がAさんの気持ちを押し上げ、鉄工会社を立ち上げようと決意します。身体を使う仕事が性に合っていると考えていたためです。
Aさんの好きなことといえば、お酒を飲むこと。行きつけの居酒屋でお酒を飲みながら営業を続け、妻と二人三脚で鉄工会社を立ち上げることができました。Aさんはいつも笑顔が絶えない人です。気さくな性格で、友人も多いタイプでした。彼が笑うと、周囲の人も釣られて笑ってしまうような、周りを明るくする力があるのです。
Aさんの人柄もあってか、会社の業績は順調に伸び、法人化することも叶いました。40代のAさんは当時、「取り柄のない自分も社長になることができる」と誇らしげに話しながら笑顔でお酒を飲むのが日常でした。
毎日が仕事に追われる生活でしたが、Aさんは幼いころ苦労の多い環境で育ったため、仕事に追われることを苦痛に思うことなく、むしろ会社が大きくなることが楽しみになっていました。
仕事が生きがいだったが…病に伏せ、引退へ
一代で法人設立まで築き70歳まで現役で従業員とともに現場もこなしていました。Aさん夫婦には当時42歳の一人娘がいます。娘の嫁ぎ先も会社を経営しているため、Aさん夫婦の会社の後を継ぐ人はいませんでした。
仕事とお酒以外に趣味もなく、この2つが生きがいだと周囲に話していたAさん。年金は月に約22万円、妻の年金を合わせると月約40万円を受け取ることができ、老後も余裕で暮らすことができます。会社が軌道に乗ってからは高い収入を得て、老後までお金に困ることはないのですから、Aさん夫婦は勝ち組といえるかもしれません。
Aさんは体力に自信があり、これまで大病や大きなケガをすることもなく、生涯現役だと笑って仕事をしていました。
71歳のある日、下腹部に痛みと吐き気が。「前日、飲み過ぎたかな」と冗談交じりに話していました。70歳を超えたのだから、1回ぐらい検査してほしいと家族にすすめられ、初めて人間ドックを受けることに。検査の結果、医者から衝撃の説明が……。
大腸がん、脳梗塞、腎不全…病気だらけ、手術を繰り返す日々に一変
「大腸がん、腹部大動脈瘤あり、腎不全、脳梗塞、血管ももろくなっています。すぐに手術が必要です」検査の結果を聞いて驚きが隠せません。いままで「あれ? なんだか身体がおかしいな」と思うことはたびたびありましたが、持ち前の体力でカバーできていただけだったことがわかります。
医者から説明を受け、まずは大腸がんの手術をしました。腹部大動脈瘤は定期的に検査しましたが、手術が必要な大きさになってしまったため、手術します。立て続けに手術したことで、腎不全が悪化、人工透析をすることになりました。
脳梗塞は手術できず、血液をサラサラにする薬を飲み続けることに。さらに心臓も弱っているとのことです。
さすがに仕事ができる状態ではなくなり、75歳のときに後継者が見つからないまま廃業することになりました。現在は要介護3の認定を受け、人工透析をするだけの生活になりました。
突然の病発覚から、手術をするたびに体重が減り、現役時代は80kgあった体重もいまは53kg。入退院を繰り返し、体力が自慢だったAさんはトイレに歩くまでは回復したものの自力で自由に歩くことはできずに、常に介護が必要な状態です。
たった10年足らずで、変わり果ててしまったAさん。「なんでこんなことに……。生涯現役を目標に仕事を続けたかった」と時折、娘に苦しい胸中を吐露します。
「いい人生だった」と終わるには
最期にいい人生だったと言える人はどのくらいいるのでしょうか? 多くの人は高齢期になんらかの病気を抱えながら日常生活を送っていることでしょう。
いまのAさんは、認知症ではありませんが、体が思うように動かず週3回の人工透析に通うだけの毎日です。人工透析以外の時間はベッドに座りながら、ボーっとテレビをみるだけの毎日が続いています。Aさんが、最期に「いい人生だった」と思うかどうかは、家族にはわからず、切ない父の姿に、娘は涙が止まりません。
病は想定外に進行することもあります。闘病生活が長くなり、生活が一変したAさんが「いい人生だったよ」そう終われるように、いまは病と向き合いながら、できること、したいこと、目標を作って生活することを願うばかりです。
三藤 桂子
社会保険労務士法人エニシアFP
代表