生後8ヶ月で亡くなった息子 約3年半後、当時の妻の日記に書いてあった本音とは

「今日もありがとう」「今日も会えて嬉しい」

生後8ヶ月で亡くなってしまった息子へ、母親が日記につづった感謝の言葉です。

現在、小学1年生の長男と4歳の三男の父親である秦野さん(@tomo.mental_)は、生後8ヶ月の次男を亡くすというつらい経験と、それを受け入れ前を向いて歩み始めた今の想いをSNSで発信し多くの方の共感を得ています。

亡くなった次男の蒼くんは、今は4歳になる三男と一緒に双子として生まれてきました。秦野さんが奥さんの当時の日記を目にしたのは、蒼くんが亡くなって3年半後のことでした。息子の蒼くんと向き合い、ともに歩んだ当時の両親の本音と、現在の蒼くんへの想いを聞きました。

生まれることができた奇跡

双子の兄として秦野さん一家に生まれてきた蒼くん。出生時に産声を上げなかったため、医師は気道確保の処置を試みました。しかし、蒼くんの気道は喉頭閉鎖症という症状によりつながっておらず、生まれてすぐに気管切開の手術を行いました。

そして蒼くんが一命をとりとめたあと、さまざまな検査の結果が出ます。蒼くんは、喉頭閉鎖症と食道閉鎖症という2つの症状を同時にもっていたことで、奇跡的に胎内で栄養を循環させ、命をつないでいたのです。

産まれて間もない蒼くん(@tomo.mental_さんより提供)

しかし、妊娠中のエコーでは大きな異常を見つけることができず、出産後に必要な処置をするまでに40分かかりました。その間、蒼くんの脳には酸素がいかず低酸素状態となり、脳にダメージをうけてしまいます。

蒼くんは喉頭閉鎖症、食道閉鎖症、動脈管開存症、総肺静脈異常症、母指形成不全の症状をもって生まれてきました。
また、酸素が脳にいかなかったことが影響して低酸素虚血性脳症に、そして気管切開や総肺静脈異常症による影響で肺炎、髄膜炎になりました。
双子でこのような複数の症状を持っている子どもはおらず、症例がありませんでした。

受け止めきれない現実

蒼くんが生まれてすぐに緊急の処置が始まったため、奥さんはただならぬ様子をベッドに横になりながら感じていました。処置の様子は見えませんでしたが、先生たちの怒号や機械のピコンピコンという音がずっと聞こえていたそうです。

間近で起こる出来事におぞましさと不安を強く感じ、身体の震えが2、3時間おさまらなかったといいます。

蒼くんが生きるか死ぬかという、想像もしなかった状況に2人ともに大きなショックを受け、頭のなかはパニックでした。

一命をとりとめた蒼くんと秦野さんたちが対面したのは出産から2時間後のこと。たくさんの管に繋がれ、周りには血のついたガーゼがありました。痛々しい蒼くんの姿を見てショックな気持ちと、生きて出会えた感動が複雑に入り乱れ、医師からの説明がほとんど理解できなかったといいます。

「一生呼吸器をつけての生活かもしれない」「脳へのダメージがどれほどかわからず寝たきりの状態が続くかもしれない」
何人もの医師から説明を聞きますが、このときの秦野さんは「いつかは治る」と奇跡を信じていました。奥さんは「普通に産んであげたかった」「悔しい、どうして?」と自分を責め「こんなことってある?」を口癖のように言っていたそうです。

2人とも起きている現実を受け入れることができず、生きた心地がしない時間が続きました。

「お互いに動揺している部分と気を使っていたこともあり、1人になったタイミングで涙した」と秦野さんはつらい当時を振り返ります。
奥さんは生まれてくる子がどんな状況でも親として育てていこうと決めていた一方で、秦野さん自身は、まだ状況を受け入れることができなかったようです。

前を向こうと決め一緒に歩んだ8ヶ月

蒼くんはいくつもの奇跡が重なり、生まれてくることができました。

「出産したのが耳鼻科のある病院だったこと」
「平日に生まれたからすぐに処置ができたこと」
「双子だったから栄養を摂ることができ胎内で成長できたこと」
「病気の症状により、体内で栄養を循環させることができたこと」

たくさんの偶然と奇跡により、過酷な状況のなかでも心臓が止まることなく生きることができました。この奇跡と偶然に蒼くんの凄さを実感した秦野さんは、蒼くんが生まれた翌朝にはこの状況を受け入れ、蒼くんにたくさんの愛情をそそぎながら一緒に生きていくことを決意します。

蒼くんはNICUに入っていたため、秦野さんたちが会うことができるのは1日1時間の面会時間だけでした。秦野さんは周りの赤ちゃんの泣き声や、抱っこされている姿を見て、親として何もしてあげられない無力感があり、何度も自分を責めたといいます。

蒼くんのために、自分たちができることはないかと奥さんと話し合い、蒼くんの日々の様子を写真に撮りメッセージと一緒にスケッチブックにまとめました。

いつ人生の終わりが来るのかわからない蒼くんの「今」を大切にしようと決め、蒼くんのがんばりを形に残したいという想いから始めたといいます。

不安定な容態

秦野さんたちは蒼くんと一緒に家族5人で暮らすことを目標にしていました。しかし、気管がつまっていることにより自分で痰を出せない蒼くんは、呼吸器をつけているところから感染をおこすことが多く、何度も感染症や肺炎に苦しめられました。

酸素をうまく取り入れることができず無気肺になり、少しずつ容態が悪くなると在宅での生活は遠のいていくばかり。それでも秦野さんたちは、会えることを幸せに感じ、日々感謝をかみしめながら病院に通っていました。

蒼くんが生後3ヶ月になる頃、今後の生活のために秦野さんは仕事に復帰します。仕事復帰後は、今までのように蒼くんに会いにいくことができなくなった秦野さん。蒼くんが淋しくないようにと、家族の写真や家庭の様子の音、映像を準備して看護師さんに頼んで蒼くんのそばで流してもらいました。

蒼くんが寂しくないように家族の様子をビデオで流す(@tomo.mental_さんより提供)

生後7ヶ月になる頃、胃ろうでのミルク交換や呼吸器をつけるガーゼの交換を秦野さんたちの手でできるようになりました。それまで見守ることしかできないと感じていた秦野さんにとって、蒼くんの生活に携われていると感じることができ、幸せだったといいます。

容態が日々変化する蒼くんのことを考える毎日は、秦野さんと奥さんにとって不安と苦悩の連続でしたが、蒼くんと過ごせた8ヶ月は1分1秒を大切に思う幸せな時間でした。

コロナ禍での入院生活

蒼くんが生まれて入院していたのはコロナ禍でした。秦野さんたちが体調を崩すと蒼くんの病室はもちろん、院内に入ることさえできません。体調管理にはとても気を使ったといいます。

面会時間も1日のうち、12時から20時の間の1時間と制限があり、仕事復帰した秦野さんが会える時間は限られたものでした。特に蒼くんの入浴は午前中のうちに行われるので、なかなか見ることが叶わなかったそうです。

病院の中には子どもはもちろん、祖父母も入ることができず3歳だったお兄ちゃんが蒼くんのすぐそばで会うことができたのは、蒼くんが亡くなる当日だったそう。一緒に過ごせる時間、会える人、コロナ禍でなければ…と思う瞬間が幾度となくあったといいます。

家族で一緒に過ごした時間(@tomo.mental_さんより提供)

蒼くんが亡くなって3年半後 日記から知った妻の想い

秦野さんの奥さんは蒼くんが生まれる前から日記をつけていました。その日記は蒼くんが生まれたあともつづられており、蒼くんにおきた出来事、日々の変化、そして当時の母親としての想いが書き記されています。

母親の想い(@tomo.mental_さんより提供)

秦野さんが奥さんの日記を見たのは蒼くんが亡くなって3年半後のことでした。

「普通に産んであげたかった」
「仕方ないけど悔しい気持ちでいっぱい」
「早くギュッとしてあげられたらいいのに」

当時も夫婦2人で蒼くんについて話す時間はもっていましたが、奥さんの日記を読んで母親として感じていた蒼くんへの想いや本音を知りました。そして、その後に書かれていたのは蒼くんへの感謝の言葉。

「今日もありがとう」「今日も会えてうれしい」

秦野さんは当時を振り返り「あのときはあのときで、できることを必死にやっていたけど、自分自身がいっぱいいっぱいで妻に寄り添えていなかった」そう改めて感じたといいます。3年半後、奥さんの日記を読んだことで奥さんの当時の本音にふれ、そこからより深く蒼くんについて話すようになりました。

家族の心の中で生きる蒼くん

蒼くんの兄弟は、蒼くんの存在をどのように感じ、理解しているのでしょう。

当時3歳だった蒼くんのお兄ちゃんは、幼いながらも弟が病気で、両親が病院に会いに行っていると理解していたそうです。蒼くんの双子の弟も、自分が双子で生まれたことを知っていて時々お腹の中で一緒にいたことを両親に話してくれるといいます。

蒼くんとともに生きる(@tomo.mental_さんより提供)

秦野さんは蒼くんに起きた出来事を、子どもたちが聞いてきたタイミングで包み隠さず話しています。
「どうしてお空にいるの?」「どうして亡くなったの?」「どうして病気だったの?」

子どもたちが感じた素直な疑問に対して秦野さんが丁寧に説明することで「生きるとは」「命とは」「亡くなるとは」という生きていくうえで大切な部分を蒼くんの人生に教えてもらい、子どもたちは理解を深めています。

一緒に家で暮らすことは叶いませんでしたが、蒼くんの存在は秦野さん一家の中で生き続けています。そしてこれからも、多くの大切なことを兄弟たちに、そして秦野さんの投稿を通じて私たちに教えてくれることでしょう。

ほ・とせなNEWS編集部

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