X670万回閲覧 発生から半年の能登大地震で注目「畳の避難所」設置の経緯をプロジェクト発起人に聞いた

畳で作られた避難所 ※画像は“畳屋防災士”松本隆さんのアカウント『@takashibohsai』より

今年元日、石川県能登半島を襲った震度7もの大地震。能登半島地震が発生してから半年が経った。

「最大617人が身を寄せた石川県輪島市の小学校では当初、水や食料の備蓄はなかったと報じられました。1月中旬には新型コロナやインフルエンザもまん延したと言いますし、被災者が体を休めるための段ボールベットが小学校の体育館へと搬入されたのは2月半ばのことだったそうです」(全国紙社会部記者)

厳しい環境で過ごすことを強いられた被災者がいる一方で、地震発生直後から多くの被災者の心を救った働きかけもあったという。

「石川県内にあった避難所の一部へは、1月末までに畳が合計1200枚届けられました。地震の発生直後から避難所で暮らす人の中には、“届けられた畳のお陰で足元のぬくもりを感じることができた”と語る人もいました」(前同)

6月初旬に被災地へと畳を持ち込んだ“畳屋防災士”の松本隆さんが避難所の床一面に敷き詰められた畳の写真とともに、《団欒スペースがあり昼寝や食事も出来る場所がある。スリッパを脱ぎ足音を消す。更に髪の毛一本落ちてない》などと避難所における畳利用のメリットをX(旧ツイッター)上で紹介すると、

《辛くて大変なときこそ、温かみのある心と身体が安らぐ場所が大切ですね》
《確かに畳が敷いてあるだけで安心できる居住空間って感じがしますね》

などと反響を呼び、約670万回閲覧と多くの人から注目を集めた。

松本さんの投稿内容は災害が起こった避難所へと畳を無償で届けるプロジェクトの一環だ。弊サイトでは、この活動の発起人である神戸市兵庫区の畳店『前田畳製作所』社長・前田敏康さんに話を聞いた。

■プロジェクト開始のきっかけは東日本大震災

避難所となった石川県立田鶴浜高校の体育館  写真提供/松本隆さん

前田さんが畳を被災地へと届けるプロジェクトをスタートさせたのは2013年。そもそものきっかけは、2011年に起きた東日本大震災だったそうだ。前田さんは自宅のある関西地域から映像で見る東北の避難所の状況に、「床が冷たそうだな、暖かかったらいいのに」と思ったという。「畳店として何かできないか」と居ても立っても居られなくなったそうだ。

ただし、その構想をプロジェクトという形にするまでには2年もの年月を要したとのこと。「自分の店だけでやるのは限界があるし、被災地の迷惑になってもいけない」という思いから、慎重に仕組みづくりを考えたという。

決意を後押ししたのは、前田さんが東日本大震災で実際に避難した人たちの話を聞くなかで、「畳が1枚でもあったらそこで授乳することができたのに」という声だった。

「まずは近くの畳店さんに相談して、少しずつ畳店さんから畳店さんへと紹介してもらって。プロジェクトの考えを話すと、皆さんすぐに賛同してくださったという感じですね」(前田さん)

前田さんのプロジェクトに賛同する店は増え続け、現在45都道府県で約500もの畳店が参加している。届けられる畳の枚数の目安は「5日で5000枚」。被災地へと届ける畳は毎回、新しい物を作る。

「事務局からどこそこの被災地のために何枚ほしいというアナウンスをして、畳を作るのに1日~2日。いったんそれを一か所に集め、輸送に1日、現地での配送に1日という計算で、5日を目標にしています」(前同)

畳は厚みや大きさを揃えるのはもちろん、現地で運びやすいように通常よりも薄く、軽くする工夫が凝らされているそうだ。ただし当然、店によって畳を製作できる能力規模は異なるうえ、畳を無償提供できるかどうかはその時の店の経営状況にも左右される。さまざまな事情を鑑み、参加店は毎年提供できる枚数を更新するという。

■2016年、熊本地震の際は6000枚も被災地で配布

全国から石川県立田鶴浜高校へと集まった畳  写真提供/松本隆さん

今では多くの畳店が参加している被災地への畳配布活動。活動のスタート当初は試行錯誤の連続だったそうだ。前出の前田さんは「当初はプロジェクト自体がまだ認知されてないし、警戒されるかなという気持ちはあった」と明かす。

「被災地の方たちにとって、遠くから来たよそ者が何かするのは、やっぱり不安感もあったと思うんです。でも、そこに現地で顔なじみの畳店さんが一緒に行くと、“ああ、◯◯さん”という感じで、すごく安心してくださる。

道も現地のメンバーが先導してくれると地元の勝手がわかっているのでスムーズです。そういう地域のつながりがあるからこそ、届けることができているなと感じることは多いです」(前田さん)

被災地に畳を届けるにあたっては、自治体と地域の畳店が災害復旧を目的に締結する災害協定を結んでおくことも、活動をスムーズにする秘訣だという。いざという時に備え、参加する畳店とそれぞれの自治体が締結した災害協定の数はいまや約180だ。

そんな同プロジェクトがこれまでにもっとも多く畳を届けたのは、16年の熊本地震の時で合計約6000枚にのぼったという。

「畳の香りで安心する、癒やされると言ってくださる被災者の方も多いです。また畳の上では座卓で食事を取ったり、ゴロゴロすることもできる。靴を脱いだ状態で少しでも身体を休められることに、喜んでくださいます。

また体育館のように広い避難所では防音の効果も大きいようで、もし畳がなかったら土足やスリッパで歩くことになりますが、夜はどうしても足音が気になってしまう。その点、畳の上では裸足ですので、足音がすごく軽減されます。役に立っているんだなと思えると、僕たちも活動のしがいがありますね」(前同)

ただし前田さんは「できないことはできない」と話す。

「あくまでも自分たちの手の届く範囲で活動している。日頃の地元への恩をいざという時には畳でお返ししたいというだけなんです。目の前で倒れられた方がいらっしゃったら手を出して、自分たちができることをしようというだけでね」

能登半島地震から半年――日本の伝統工芸品を作る職人の技術と心意気は、被災地域で暮らす人々に確実に届いているだろう。

© 株式会社双葉社