【7月3日付社説】報道への強制捜査/知る権利を軽視した暴挙だ

 報道関係者に対する家宅捜索は、報道の自由を脅かすものであり、ひいては国民の知る権利を損なうものだ。今回の捜索を先例とすることは許されない。

 鹿児島県警の巡査長の捜査資料漏えい事件で、同県警が福岡市の報道関係者の自宅を捜索し、取材情報が入ったパソコンなどを押収した。これは、県警による不祥事の隠蔽(いんぺい)があったか、今回の情報漏出が内部告発に当たるか―とは切り離して考えるべき問題だ。

 福島民友新聞社をはじめ、報道関係者は、取材源の秘匿を極めて重く考えている。内部告発などの情報提供者が特定されれば、その人にさまざまな不利益が生じることは容易に想像できる。

 報道機関などが情報源を漏らす恐れがあると考えれば、情報の提供をためらう人が増えるだろう。事実を明らかにする報道の力を弱めることに直結する。報道機関などに対する強制捜査は、できる限り慎重でなければならない。

 同県警がこの家宅捜索後に前生活安全部長を国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕した。押収した資料を基に、内部告発者が前部長であると特定した可能性が指摘されている。

 報道が警察や検察の不祥事を詳しく報じるのは、捜査機関が容疑者の逮捕などにより、人の自由を制限する権限を持っており、それが適正に行使されているかを厳しく監視する必要があるからだ。報道関係者が警察などにとって都合の悪い情報を持っていたり、内部告発者を特定できたりする可能性があるからといって捜索するというのは安直で、権力の乱用だ。

 これまで報道機関は、捜査機関などの不正を明らかにしてきた。しかし、組織が内部で情報を漏らした人を捜すことはあっても、報じた側に正面から提供者を明らかにするよう求めた例はまれだ。捜査機関などが、報道の自由を尊重してきたことの表れだろう。

 今回の捜索はこれまで培ってきた報道と捜査機関のそれぞれ担う役割について尊重する関係を損なうものであり、一つのメディアだけの問題ではない。

 警察の求めに応じて捜索を認めた裁判所の見識も問われる。

 警察などから得た情報をそのまま書き直して提供するのが報道ではない。寄せられる情報を独自に検証し、必要と考えられるものについて確認を行った上で、世に問うのが役割だ。今回のような事態が続いても報道機関が萎縮したり、自ら情報提供者を明かすようになることはないということを強調しておきたい。

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