崖っぷちからのパリ行き。「移籍していなかったら選ばれていなかった」。FC東京への感謝を胸に、荒木遼太郎が自身初の世界大会に気合十分!

2022年3月下旬のドバイカップから、しばらく大岩ジャパンから遠ざかっていた。代表に戻ってきたのは今年の3月下旬。そこから巻き返し、大外からまくっての五輪行き。そんな“ファンタジスタ”が本大会に向け、意気込みを語った。

7月3日、パリ五輪に挑むU-23日本代表のメンバー発表会見が都内で実施され、同日夕刻からは選出された関東圏の選手が一同に介して決意表明を行なった。

会見後に囲み取材に応じたMF荒木遼太郎(FC東京)は開口一番、こんな言葉を残した。

「正直、去年と一昨年の状況を見れば、(パリ五輪を)考えられるような状態ではなかった。今年、移籍をしてきて今までいろんなことがありましたけど、それを含めて良いプレーができているので色んな人に感謝したい」

思い返せば、2020年のルーキーイヤーから鹿島アントラーズで出場機会を掴み、2021年には36試合で10得点を決めてベストヤングプレーヤー賞を受賞。年明けの22年1月にはA代表候補に選出されるなど、順風満帆のキャリアを歩んでいた。

もちろん、大岩剛監督が率いるパリ世代のチームでも期待され、22年3月の立ち上げ合宿に参加。攻撃の中心として、パリの主役を担うつもりでいた。しかし、ここから荒木は表舞台から姿を消す、といったら大げさか。怪我の影響でコンディションを落とすと、鹿島で出場機会を失っていった。

22年シーズンは13試合で1ゴール。翌年も出番を思うように得られず、13試合・0得点に終わった。

「自分自身(のスタンス)を変えてはいないですけど、環境を変えたのは大事なこと」

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現状を変えるべく、荒木は大きな決断を下す。期限付き移籍でFC東京に加入したのだ。すると、開幕から4試合で4ゴールを決め、3月下旬には2年ぶりに大岩ジャパン入りを果たした。

親善試合で猛アピールし、躍動感あるプレーで攻撃をリード。評価を高めると、4月にはパリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップのメンバーに選出された。

準々決勝のカタール戦(4-2)では後半途中からピッチに立ち、延長戦でFW細谷真大(柏)の決勝点をお膳立て。ウズベキスタンとの決勝(1-0)でもMF山田楓喜(東京ヴェルディ)のゴールをアシストした。

チームの出場権獲得と優勝に貢献し、FC東京に戻ってからも好調をキープ。最前線や2列目で力を示し、大岩監督の信頼をガッチリ掴んで本大会行きのメンバーに滑り込んだ。

だからこそ、荒木は自分に活躍の場を与えてくれたFC東京に特別な気持ちがあるという。

「今年、移籍をしていなかったら、選ばれていなかった。移籍した時に温かく迎えてくれたサポーターの方々に感謝したいし、それがなかったら今の立ち位置はない」

華麗なる復活を遂げた荒木。自身初となる世界大会に向けて、モチベーションを高めている。

「五輪に出たいという気持ちはあったけど、まずはチームが勝つためにプレーしたい。途中出場でもいいし、本当に自分の欲もあるけど、日本を背負っている。チームが勝つために最善の選択をしたい」

パリ五輪の舞台で“タロウ”の名を轟かせられるか。チームのために戦いながら、己の技巧を存分に発揮してみせる。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)

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