『葬送のフリーレン』の気品あふれる貴族像はどこから来たのか? 西洋史研究者が解説

By 仲田公輔

中世ヨーロッパ風の剣と魔法のRPG世界を舞台に、魔王討伐の旅のあとを描いた人気漫画作品『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人、作画:アベツカサ)。その豊かな世界観を、西洋史を専門とする研究者が歴史の視点でひも解く!

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仲田 公輔 岡山大学 文学部/大学院社会文化科学学域 准教授。セント・アンドルーズ大学 歴史学部博士課程修了。PhD (History). 専門は、ビザンツ帝国史、とくにビザンツ帝国とコーカサスの関係史。1987年、静岡県川根町(現島田市)生まれ。

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中世と近世が入り交じった、優雅で豪華な貴族たち

王侯貴族の暮らしぶりについてはどうだろうか。物語の随所には貴族たちが登場するが、彼らはたいてい豪華な宮殿を構え、舞踏会をはじめとする社交に興じるなど優雅な暮らしぶりをしている。

貴族の社交会のようす。(『葬送のフリーレン』(小学館)第4巻,p. 85より引用)

その服飾や生活のイメージは、どちらかといえばフランス革命時代を描いた『ベルサイユのばら』などで描かれる近世の貴族たちのものに近いようにも思える。

※『ベルサイユのばら』=1972~73年に『週刊マーガレット』(集英社)で連載された、池田理代子による漫画作品。フランス革命期のベルサイユが舞台。

「昔のヨーロッパ風」というイメージの中で、中世と近世が入り交じることはよくある。こう言うと、また専門家が大上段に説教かと身構えた方もいるかも知れない。しかしあらかじめ断っておきたいのだが、西洋中世について何も知らずにけしからん、と言いたいのではない。作劇に幅を持たせるために様々な要素を取り入れているという事情もあるだろうし、それは歓迎すべきことだろう。

貴族のパーティーが催される屋敷。(『葬送のフリーレン』(小学館)第13巻,p. 176より引用)
「貴族らしい」振る舞い。(『葬送のフリーレン』(小学館)第13巻,p. 177より引用)

「優雅な貴族」のイメージはどこから来たのか?

他方で、本邦における歴史教育が中世と近世をごちゃまぜにしたイメージを作り出している可能性を指摘する研究も存在している。

というのも、中学校社会科歴史分野の教科書には、中世後期と近代のあいだをつなぐ産業革命や市民革命の時代である「近世」「初期近代」(Early Modern)という時代が、明確には記述されていないのである。西ローマの滅亡あたりから始まった中世が、明確な時代の区切りがなく気がつくと、「ルネサンス」「大航海時代」「フランス革命」などになっている。これでは古代と近代に挟まれたおよそ1000年の期間が、なんとなく「昔のヨーロッパ」として一括りにされ、中世と近世のイメージが曖昧になってしまうのも無理はないように思われる。

実際、初回の冒頭で触れたような「西洋中世をモチーフにした創作物といえば?」という質問には、『ドラクエ』『ゼルダの伝説』等と並んで『ベルサイユのばら』が挙がってくることが多い。

創作物における「昔のヨーロッパ」風世界観に中世・近世双方の要素が混在するのには、こうした背景も影響しているかもしれない。とくに貴族のこととなれば、『ベルサイユのばら』に描かれたアンシャン・レジームの貴族たちの姿の印象は極めて大きいものがあったであろうし、「中世風」世界観にも同じヨーロッパのものとして入り込んでくるのも無理はないと考えられる。

それゆえ、本邦においては西洋中世=優雅な貴族たち、舞踏会のようなイメージも抱かれているのだろう。貴族はそのようなものと描かれたほうが、本邦の読者にとっては受け入れやすいという事情もあろう。

ちなみに、『フリーレン』冒頭の回想シーンで王にタメ口をきいたかどで勇者ヒンメルと戦士アイゼンがかけられているギロチンも、フランス革命以後のものである。

『フリーレン』における、気品あふれる「貴族らしさ」

加えて『フリーレン』作中では、優雅な貴族像は意図的に描かれていると思わせるシーンが、コミックスの執筆時点での最新刊(13巻)に登場している(第122話)。

先述のティタン城塞を治めるアルメー伯をめぐるエピソードである。彼らはかつて武功が物を言う時代には無骨な城塞に拠って活躍したが、平和になった今は没落したとされている。彼らの城のほうが、どちらかといえば中世盛期の城の実態に近いかもしれない

中世盛期の城に近い無骨な城塞。(『葬送のフリーレン』(小学館)第13巻,p. 87より引用)

ここにおいて、フリーレンの口から、中央諸国や帝国中枢における貴族は権威や気品が求められるが、戦いが絶えない辺境では実力が物を言ったという事情が語られる。とくに「気品」が「貴族らしい」要素として語られているのは興味深い。

武力を背景に領地と民を支配する、「戦う人」としての貴族

実際の西洋中世の貴族たちの暮らしぶりはどうだったのだろうか。

先述のように中世は長い時代である。また、地域差も大きいため一般化することは難しい。しかし、代表的な様相を上げるとするならば、盛期中世、とくに12世紀以降のヨーロッパの貴族は「戦う人」であり、武力を独占し、それをもって領主として領地と民を支配する人々であった。

特に12世紀以降は、中世の貴族が騎士という言葉と結びつくこともあった。第32話のオルデン家のエピソードのように、貴族を「騎士」と呼ぶ場面は『フリーレン』でも見られる。

中世ヨーロッパの騎士は単に馬に乗って戦う騎兵というわけではなく、儀礼を通して社会的に承認された身分であった。新たに騎士となる若者は、教会で身を清め、祈りを捧げた後、聖別された武具を授かり、主君によって肩で剣を軽く叩かれる(最後のシーンには見覚えのある方もいるだろう)。騎士は弱者とキリスト教を守り、貴婦人を敬うのが理想とされた。

このように実際の騎士にも、ある意味で気品が求められてはいる。しかし『フリーレン』で想定されている貴族らしさは、どちらかといえば第32話のオルデン家のエピソードで描かれるような、優雅な社交の所作などであろう。

『フリーレン』に描かれた、騎士たちの姿と騎士道

他方で、同エピソードで貴族のふりをするように求められたシュタルクが、武芸の鍛錬も求められていたことは注目に値する。貴族が戦士階級であり、武芸を磨くことが求められていたという点は、現実の西洋中世と一致する。

貴族の振る舞いを身につけるために剣技を教わる。(『葬送のフリーレン』(小学館)第4巻,p. 89より引用)

西洋中世の貴族はもっぱら、少なくとも理念の上では、全身を鎧で覆い(第18話、断頭台のアウラのエピソードで不死の軍勢にされている戦士たちがまとっている鎧が、まさにそのイメージで描かれているのだろう)、騎乗して槍もしくは剣で一騎打ちすることを理想としていた。騎士道文学に描かれる騎士たちの姿である。

全身を鎧で覆った「騎士」のような姿の不死の軍勢。(『葬送のフリーレン』(小学館)第3巻,p. 8より引用)

彼らは飛び道具を使うことを騎士道に悖ると考えていた。自分の戦い方にプライドを持つという意味では、第21話のフリーレンと師匠フランメの出会いの回想シーンで描かれたような、魔法で戦うことにプライドを持つ魔族に近いものがあるのかもしれない

参考文献

続き #4 『フリーレン』世界の教会 (1)

 

『葬送のフリーレン』編(全6回)内容

【葬送のフリーレン編】記事一覧


🧭〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら

毎回さまざまなフィクション作品(ゲーム、漫画、アニメ、ドラマ、映画等)を1本取り上げて、歴史の専門家の目線から、面白いところ、意外なところ、ツッコミどころ等を解説するシリーズです。

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