被爆死したマレーシア人留学生 寺がイスラム式の墓を建て供養 初来日の姪「言葉にできないほど感動」【広島発】

広島の原爆の犠牲者の中に、マレーシアからの留学生がいたことは、あまり知られていない。毎年8月6日の原爆の日に、お経とともにイスラム教の「コーラン」が聞こえる寺が広島にある。この地に眠るのが、その被爆死したマレーシア人留学生だ。マレーシアの親族が初めて墓参のため来日し、当時、交流のあった被爆者と面会した。

東南アジアからの「南方特別留学生」

広島市で、およそ450年の歴史がある光禅寺には1500基を超える墓が並ぶ。その中でひときわ大きく、目を引く墓がある。

墓の主はニック・ユソフさん。マレーシアから招かれた留学生で、広島大学の前身にあたる広島文理科大学に留学していたユソフさんは、爆心地に近い寮で被爆した。

ユソフさんは当時、日本の占領下におかれた東南アジアから、将来の指導者になるべく集められた200人余りの「南方特別留学生」の1人。広島の学生寮には当時8人の留学生がいた。

ユソフさんは寮で被爆し、やけどを負いながらさまよい、10キロ以上離れた、今、墓のある光禅寺に近いところで倒れていたと言う。そして、小学校で荼毘に付された。

3代にわたり、ユソフさんの墓を守ってきた光禅寺の前住職、星月空(ほしづき ひろし)さんはこう説明する。

星月空 前住職:
服に「ニック・ユソフ」と書いてあったんだと思います。それを見て荼毘に付した消防士さんが、お骨をきれいにとっていて、お寺で預かってほしいと持ってきた。

60年前にイスラム式の墓を建てる

1964年に墓を建てたのは空(ひろし)さんの祖父で当時の住職、星月晨人(ほしづき ときと)さん。イスラム教徒は亡くなった地で埋葬されると知った晨人住職は東京まで出向きイスラム式の墓石を調べたという。

星月空 前住職:
一人で大変さみしい思いをしているから大きなお墓を作ってあげようと、広島の街が見えるところに建ててあげたと聞いている。

墓の完成を記念する60年前の写真には、晨人住職と共に一人の女性が写っている。この女性は、栗原明子(くりはら めいこ)さん。

原爆投下後の混乱の中、居場所を失った南方特別留学生と避難生活を共に過ごした。

今回、墓に眠るニック・ユソフさんの姪、ニック・マヒザンさんが、親族として初めて墓参のため来日し、栗原さんから当時のことを聞いた。マヒザンさんは、ユソフさんの弟にあたる父から「兄は原爆で亡くなった」と聞いて育ったという。

栗原さんによると、被爆後、行方がわからなくなったユソフさんを留学生の仲間たちが必死に探していたという。

栗原明子さん:
みなさんのお話によると、ユソフさんはすごく責任感のある方で、みんなが無事だと学校へ報告に行く途中で火にまかれて亡くなられたようです。異国で亡くなられたと聞いて家族はどんなにか胸が痛かったか。

ニック・マヒザンさん:
ユソフさんの母である祖母は、言葉にならないほど本当に悲しんでいた。

マヒザンさんは、家族が知らなかったユソフさんの最後の姿に触れることができた。そして、墓に参った。

「広島の皆さんの温かい思いに感動」

星月空 前住職:
こちらです。花の下にお骨が入っています。

伯父は燃え盛る炎の中どんな思いでここまで逃げてきたのか。墓を前に思いを巡らせる。

ニック・マヒザンさん:
伯父ニック・ユソフに対し広島の皆さんの思いがこんなに温かいと 初めて実感した。言葉で表現できないほど感動しました。本当にありがとうございます。

星月空 前住職は、ユソフさんがなぜ、ここに眠っているのかを考え、戦争は、あってはいけないということを伝え続けると応じた。

光禅寺では、次の世代に平和の大切さを伝える活動を続けている。

星月空 前住職:
いま、大変な戦争がいっぱい起こっています。ウクライナのようなことが起きないように、皆さんが平和で仲良くという意味で、平和の「礎」になるような活動を続けていきたい。

79年ぶりに親族の墓参が実現したわけだが、異国の地で若くして被爆死したニック・ユソフさんの墓は、平和とは何かを考える機会を与えてくれる。

(テレビ新広島)

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