「ハイスタとSMAPはその辺のお兄ちゃん」ピン芸人ゆってぃが語る90年代音楽ヒストリー

J-POP好きもHIPHOP好きもレゲエ好きも知っているバンド

僕の青春は90年代に全部詰まってると言っても過言ではありません。

「急に何言ってんだてめーコラ! あーん?」

コラムの冒頭で「俺って雰囲気持ってるでしょ?」的な導入を見逃さない、コラム冒頭警察の皆様こんにちは。見逃してください。

ピン芸人のゆってぃです。「ゆってぃ」という芸風からは全く想像つかないだろうけど、僕は90年代のカルチャーが大好きで、という90年代の音楽を紹介するYouTube番組をやってるくらい、「息継ぎしてたの?」ってくらいに90年代を自由に泳いでいました。

僕らの時代のストリートカルチャーは、「音楽」と「ファッション」が、とにかく密接に紐づいてました。とにかく紐づく安村。

その頃のファッションといえば(ココから、その頃の僕語りスタートします)、「裏原宿」と言われた、原宿の裏(ぶっちゃけ、どこを表として、どこを裏としてるのかはよくわかりませんが)に詰まっていました。

その「裏原」には、バンドマンやオシャレさんたちが立ち上げた、ドメスティックブランドが山のようにあり、週末になれば「とにかく裏原に足を運ぶ」。これを毎週繰り返していました。

そんなカルチャーの「ドスン!」と真ん中に陣取っていたのは、稀代のパンクロックヒーロー、我らがHi-STANDARDでした。

この「我らが」ってのがミソで、僕らのようにストリートカルチャーにずぶずぶびしょびしょに浸り切った人間からしたら、ハイスタは本当に「我らが」だったんです。

▲Tシャツもレコードもハイスタ!

もともと、僕や地元の仲間は洋楽ばかり聴いていました。

日本にパンクシーンやロックシーンがあることを初めて知ったとき、「日本にそんなのあるんだ?」と思ってしまったくらいで(いま考えれば、そりゃあるだろうと思うんですけど)、そのときはどんな音楽かも想像もつかず、おどろおどろしく思っていたんです。

その頃に出会ったのが、ハイスタでした。

「えっ? 身近〜!」
「なんか親しみやすい〜!」
「ウィッスじゃなくって『こんちわ!』って挨拶しそう〜!」

ジーパンを履いて古着のTシャツを着て、3人中2人がロン毛で、全員がひょろひょろしてて、今思うと「カリスマ性をどっかに落として来たんですか?」ってくらい、普通のお兄さんたちでした。

けど、彼らがスゴいのは、ヒップホップを聴いてる人もレゲエ好きな人も、「あゆ大好き!」って人も、「あ、ハイスタは知ってるよ!」状態だったのです。これって異常じゃないですか? ゆってぃのことなんて16歳以下ほとんど知りませんよ?

彼らは戦略もスマートでした。

ある日、レコード屋さんに行くと、レジ横に7インチレコードの新譜があったんです。

「どっかのバンドが新譜出したのかな? どれどれ、えっ? ハイスタじゃん!」

そう、全くの告知無しで新譜を出したのです。

「ざっけんなよ! 来てよかったわ、今日!」と、みんなが逆ギレするくらい、全くの告知無し。当時はSNSなんてありませんから、たまたま見つけた人たちによる「ハイスタの新譜出てるぞ!」という口コミが広がっていくわけです。まさにストリート! 今年のM-1は誰々が仕上がってるらしい。芸人には毎年そういう噂が流れてくるんですが、それと一緒ですね。あれ、違うかな?

あるときは、『EATマガジン』というJ-popファンがページを開いても、何が書いてあるか一文字もわからないインディー音楽シーンを網羅した、コア雑誌のインタビューを受けたハイスタ。

雑誌の表紙を飾るのはもちろんHi-STANDARDの3人。だけど、なぜか違和感を覚える。写真をよく見ると「は? 誰? 知らない人なんだけど?」。雑誌の表紙なのに、まさかスタッフ3人をハイスタといって載せてしまったんですよ。なんて舐めプ!

そして極めつけは、NOFXのFATマイクのレーベル、ファットレックからの海外デビュー。

日本のお笑いの事務所に例えると、このレーベルはサンドウィッチマン率いるグレープカンパニーみたいなもんです。

「えっ? あそこからデビューすんの? 今アツいもんね!」と、好きな人なら誰で唸るレコードレーベルで、そこから新譜を出せる日本人がいるなんてことにびっくり。「ハイスタは世界に通用する!」。そんなふうに誇らしく思ったもんです。

ハイスタとSMAPに通ずる「地元の先輩にいそう感」

さて、これだけ世間を巻き込んで、いろんな人々に影響を与えて、今までできなかったことをやってしまうハイスタ。例えるならば、ストリートシーンのSMAPみたいな存在でした。

僕はSMAPさんを熱心に追ってたわけじゃないので、詳しいことは知らないけど、ファンは同じ90年代を楽しく過ごしてたんじゃないかな? そして、ハイスタ好きの僕らはSMAPを知ってたし、SMAP側の人もきっとハイスタは知ってたと思う。これは勝手な想像ですので、怒らないでくださいませ。

ハイスタのスゴいところって、オリジナル楽曲の全てがクオリティーが高いこと。「あ、最初の曲いいな!」と思ってると、さらにそれを超えてくる楽曲がアルバムに必ず入ってる。

次から次へとおいしいメニューが出てきて目移りしちゃう、オリジン弁当方式なんです!

僕は『バリ3TV』でDJをする機会もあるんですが、ハイスタを流したときは、老若男女がマジで一体になります。このまま球体になるんじゃないか?ってくらい、一体感が生まれます。

▲90年代カルチャーに囲まれています

イベントによっては、ロックよりもJ-POPのほうが良いシーンもある。そんなときはSMAPの『SHAKE』を必ず流します。すると、やっぱりみんな盛り上がってくれる。

SMAPって、初期の曲はアイドルアイドルしてたイメージだけど、「10$(テンダラーズ)」とか「あれ? ベース唸っててカッコよくね?」みたいな曲をポンって入れてくるので、「SMAPは意外とあなどれねー!」と思ってたもんです!

その“あなどれねー”と思ってた面々は、コントは芸人がやるのが当たり前だった時期に、フジテレビの22時から自らの看板番組でコントをやり始めて、さらに衝撃を与えます。

「え、彼らアイドルなの? ちゃんと面白いんですけど……なんなの、この人ら!」

テレビの前で「まじであなどれねー!」と思ったもんです。しかも、曲を出したらミリオンセラーだし、中居くんなんてMCもやってるし、キムタクは着るものや髪型まで全部流行って、ドラマに出たら全部最高視聴率だし、歩くカリスマになってたもんね。SMAPには「先人がやってないことやったろうぜ!」という、パンクロック精神を感じました。

だけど、ハイスタにもSMAPにも、僕はなぜか強く親しみを感じていました。おそらく僕だけじゃないと思う。なんというか、地元の先輩にいそうな感じ? コレを両者ともに持ち合わせてたと思う。

バブル期から90年代に移り変わるとき、どんな人が時代をリードしてたんだろう、と考えるんです。あの頃、若者を牽引するために必要な要素は……

「その辺のお兄ちゃん感」

だったんじゃないかな? 否は受け付けません!

バブルが弾けて景気が落ちこんだ90年代。それまでのカウンターカルチャーみたいな感じで、「今までと同じことやってたらダメだ!」「自分たちでやりたいことを表現しよう!」を、その辺のお兄ちゃんがやる! それが90年代! なんて最高にカッコいい時代だったんでしょう。

この記事は単発ですが、好評であれば次回も続きます。あと、本文中の敬称略です。念のため。

(構成:キンマサタカ)


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