西日本豪雨6年「復興 その先へ」(4)被災者が思う「まびふれあい公園」の存在意義【岡山・倉敷市】

西日本豪雨から2024年7月6日で6年。シリーズ「復興その先へ」、最終日の5日は、3日にオープンした復興のシンボルが持つ意味を、被災者を通して考えます。

(西日本豪雨で被災した 中山正明さん)
「災害を機にこの公園ができたので、にぎわいを取り戻すと同時に、どんどん活用していきたい」

倉敷市真備町箭田地区の被災者、中山正明さん(70)。復興のシンボルの完成を待ちわびた一人です。

7月3日にオープンした「まびふれあい公園」。整備した倉敷市の関係者や被災者などが集まり、復興のシンボルとしてPRしました。

(倉敷市 伊東香織市長)
「地域住民によるさまざまな利用、市内外からの視察いろいろな使い方がある。真備の復興のシンボルとなり、魅力を発信できる場としてぜひ利用してほしい」

2018年7月、西日本各地を襲った集中豪雨によって町内を流れる小田川が決壊。まちの大部分が水没し、真備町では災害関連死を含めて犠牲者は74人、岡山県内では95人が亡くなり、県内では戦後最大の災害となりました。

まちは6年かけて復興し、大規模な治水対策事業も2024年3月に完了。決壊した場所に最後に整備されたのが、この「まびふれあい公園」です。

(黙礼)

2024年5月には天皇皇后両陛下が公園を視察され、復興の歩みに思いを寄せられました。

(倉敷市 伊東香織市長)
「両陛下がお越しいただいてお見舞いしていただいてみなさんを元気づけていただいたことは私たちにとって、未来に向かっていく大きな節目になった」

公園で両陛下から話を聞かれたのが、中山さんでした。

(中山正明さん)
「この辺りは基礎までなかった。ひどかった。家が傾いて」

被災当時、自宅は水没し全壊。それでも地元商工会の会長を務める中山さんは、他の被災者の生活支援を続け、まちの復興を支えました。

(中山正明さん)
「被災して悲しいことだったが、それを機にこの公園ができ、新しい思い出を作っていくスタートになればと思う。この公園はすごく意味のあるものだと思う」

被災から復興・・・まちの姿は大きく変わった一方、懸念されるのが人々から災害の記憶が薄れていくことです。

(中山正明さん)
「だんだん(記憶が)薄れていくが、伝承する意味で、おじいちゃん、おばあちゃんの体験が語り継がれるようなことを今後やっていきたい」

公園を設計した著名な建築家・隈研吾さんもこう話します。

(建築家 隈研吾さん)
「一番大事なのは「調和」だと思ってデザインした。自然は人間にとって怖いものでもあるが、それを大事にしていけば、人間と一緒に調和して生活できる。調和、ハーモニーを大事にして、全体の形を決めた」

公園には地元特産の竹を使った建物があります。その中には復興の道のりを紹介するパネルも展示されています。

また防災備蓄倉庫として使われるほか、災害の時は、避難場所として約80人を収容することもできます。

記憶の風化を防ぐ工夫がみられる中、中山さんは被災者として次の行動が大切だと考えています。

(中山正明さん)
「この6年間で小田川の合流点付け替え工事も終わって、本当に安全な町になった。2000人近く町外に出ているが、また機会があれば戻ってきてほしい。こんなに頑張って安全な町になったとアピールしたい」

災害を教訓に、災害に強いまちに生まれ変わった真備町。「まびふれあい公園」は、災害の記憶を後世に語り継ぐとともに、真備町の魅力を発信する拠点としての役割も担っています。

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