先天性の障がいに絶望も、VRに救われ“世界の舞台”へーーVRパフォーマー・yoikamiが目指す「アカデミー賞のその先」(前編)

「メタバース」を筆頭に、拡大をつづけるバーチャルの世界。そんなバーチャルの世界には、現実世界同様にさまざまな「表現者」がいる。連載「Performing beyond The Verse」では、バーチャルにおけるありとあらゆる「創作」と「表現」にたずさわる人びとに話を伺っていく。第三回となる今回、話を聞いたのは、バーチャル空間における身体表現を追求するVRパフォーマー・yoikami(ヨイカミ)氏だ。

イギリス最大のインディペンデント映画祭『Raindance Film Festival(レインダンス映画祭)』にて、2016年よりスタートしたXR作品部門「Raindance Immersive」。世界中のXR作品を発掘し、そのクリエイティブに光を当てる部門だ。

そして、『Raindance Immersive 2024』ノミネート作品のひとつにして、オープニングセレモニーにも抜擢された日本発の作品がある。その名は『SHIRO: FOUR SEASONS』(原題『白無垢世界 剣舞四季』)。「日本の四季」をテーマとした和の演舞である。

この演目で主演を務めるのが、『VRChat』を中心に活動するダンサー/パフォーマー/演出・脚本家のyoikamiだ。アメリカ音楽映画祭『サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)』にて開催されたダンスコンテストで優勝を飾り、ヴェネチア国際映画祭の『Premio bisato d'oro 2022』にて最優秀短編賞を受賞した『Typeman』で主演を務める、VRパフォーマー・表現者の代表格ともいえる人物である。

その過去を紐解くと、表現に没頭した青春期から、半身麻痺による挫折、最愛の祖母との離別など、波乱に満ちた人生が見えてくる。彼はそんな過去を振り返り、「VRによって救われてきた」と話す。

VRに救われ、成長し、大舞台に立つまでに至った彼が、VRの舞台から叶えていきたいものとはなにか。そして、バーチャル空間における身体表現の現在地は――1時間半に渡るインタビューを前後編でお届けしよう(浅田カズラ)。

■「祖母に海を見せたかった」――yoikamiがVRに出会ったきっかけ

――まずは、VRの世界に来るまでの経歴について教えてください。

yoikami:まず、自分は先天性の障がいを抱えて生まれてきました。このため、いわゆる健常者の方のように、ごく普通の学生時代・青春時代を送ることができず、いじめなどもあって、中学1年のころからはまともに学校にも通えていません。

そのかわりに、なにか自分ができることはないかと思って出会った表現の世界に没頭していきました。メインは脚本でしたが、俳優はもちろん、声優、身体表現、ゲーム制作などもしていましたね。

また、障がいの都合で長距離の移動ができず、在住している北海道の外でおこなわれるワークショップなどには参加できないのですが、所属する劇団の研修の一環で、本業の執事による執事指導や、現役の軍人によるタクティカルトレーニングなど、世界各地のプロフェッショナルからさまざまなスキルを身につける機会に恵まれました。

「自分のホームで世界中の人と会って、教えを受ける」という体験を積んできたことが、後にVRの世界へ行ったときに馴染むのが早かった理由なのかもしれません。

――現実世界で表現活動に邁進していた中で、VRの存在はどのような経緯で知ることになったのでしょうか?

yoikami:VRを知った最初のきっかけは、『PlayStation VR』のCMですね。そして、VRに触れるきっかけになったのは、数年前に亡くなった祖母の介護を通してです。

当時、障がいの影響で半身麻痺が発生している中、祖母の介護をしていました。お医者様からは「いつお別れがくるかわからない」と告げられていて、なにかやりたいこと・見たいものはないか、と祖母に尋ねてみたところ「海が“見たかった”」と答えたんです。「見たい」ではなく、「見たかった」と。気丈で、力強く、様々なことを教えてくれた強い祖母が、「海を見たいけど、もう諦めている」と力なく答えたことに、ものすごく悲しくなってしまって。

実際、当時の祖母は酸素吸入がなければ移動もできない状態で、車で移動しても海まで2~3時間はかかるとなると、たしかに海を見に行くのは難しい状況でした。けれども、そこで「本当に無理なのかどうか疑いなさい」という祖母の言葉を思い出し、いろいろな方法を探っている中で、「海を映した動画コンテンツをスクリーン投影で映す」というアイデア、そして『PlayStation VR』の海を体験するCM広告に行き着いたんです。

「これしかない!」と思い、値段も確認せず『PlayStation VR』一式を買って、セットアップと検証を行い、介護センターや病院の方とも相談した上で、本当に短時間ですが、祖母をVRで海に連れていくことができました。もちろん、本当の海を見せることは叶わず、現在のソーシャルVRのように「いっしょに海を見に行く」こともできませんでしたが、VRには「不可能を超える」力があるのだと、大きな可能性を感じました。

――その後、yoikamiさんは『VRChat』の世界へ踏み込み、現在に至ります。『VRChat』を知り、始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

yoikami:自分が『VRChat』に興味を抱いたのは、アーリーアクセスが始まった2017年ごろですね。いちおう、VR技術については、リハビリ手段として医療施設などで活躍していることは知っていて、自分でもなにか活用できないかと考えていました。ですが、最大の決め手は「単純におもしろそうだから」でした。

「身体はどこもなくなっていない。なぜ、諦めているんだ」

――yoikamiさんのVRキャリアの始まりであるダンスを始めようと考えたのはなぜでしょうか?

yoikami:半身麻痺の影響で、舞台から離れてしまったことが一因にあります。

実は、もともとダンスは苦手だったんです。舞台の上でも、台本は見ただけでおぼえられるのに、振り付けはぜんぜんおぼえられなくて、ずっと苦手意識がありました。

半身麻痺の発生後は、入院していた病院でテレビをよく見ていたのですが、ミュージカルなど舞台の動画を見ると心が沈むようになってしまっていたんです。体は動かないし、声も出せない。「もう舞台には帰れないのか」と思うと、その映像を見ることすら辛くなって。なので、自分が詳しくない舞台を見ていました。歌舞伎とか、ダンスとか。

yoikami:そんな中、ある日「イル・アビリティーズ(ILL-Abilities)」という国際的なダンサーチームの動画と出会ったんです。腕や脚の欠損、聴覚障がいなど、身体に障がいを抱えているダンサーによるチームです。

チーム名の「イル(ILL)」は、「病気」や「病的」という意味の単語ですが、ヒップホップの文脈では「すばらしい」「卓越した」という意味で使われるそうなんです。つまり彼らは「体の欠損」を「普通の人にない卓越したアビリティ」だと捉えているということなんです。実際、耳が一切聴こえない方は、聴こえていないのに音に合ったダンスをするんですよ。

では、彼らと比べて、自分はどうだろうと考えたら、左半身の麻痺があり、視力と聴覚の低下があり、発声障がいが生じていて、日常生活が少し厳しくなった……というもの。「ちょっと動かなくなっただけで、身体はどこもなくなっていない。なのになぜ、舞台に立てないなんて諦めているんだ!」――そう再確認できたので、リハビリに尽力しようと思い、そして「イル・アビリティーズ」に影響されて、自分でもダンスをやってみたいと思うようになりました。

当時の自分は、車椅子では舞台に立ってもできることは少ないし、舞台に立つとPTSD症状として呼吸困難が起こってしまうような状態だったのですが、ダンスなら一人でもできるし、なによりやったことがないことだったので、プレッシャーもなく、なんとかなるかなと考えたんですよね。

■VRでのリハビリが“異常”なまでの回復につながる

――そんな中、ダンスの一歩を踏み出すにあたって、現実のダンススクールではなくVRでの練習を始めたのはなぜですか?

yoikami:最初は現実で練習したかったんですが、車椅子で、左半身麻痺があり、しかも声も出ない状態でしたので、ダンススクールの受け入れ体制的にも難しかったんです。なので最初はYouTubeでダンス動画を見ていたんですが、ある日VRでダンスをやっている海外の方と偶然お会いし、ダンスを教えてもらえることになって。その方が偶然にも、「International Dancers Association(※)」に所属しているダンサーだったのは幸運でした。

(※International Dancers Association(IDA):『VRChat』内外のダンサーが参加する、世界的なVRダンスコミュニティ)

――その時期のお話はプライベートでお聞きしたことがあります。麻痺がある左手に、包帯でコントローラーをぐるぐる巻きにして固定し、その上でダンスをされていたとか。

yoikami:当時、左手の握力は空っぽの紙コップを保持するのがやっとでしたからね。包帯でコントローラーを固定し、親指だけは操作のために動かせるようにして……という状態でした。左腕は上がらないし、左足も置くだけ。右足で立って、右手一本で踊っていましたね。

――そんな状況から、いまやyoikamiさんは全身を見事に動かしていらっしゃいます。VRでのダンスがリハビリに良い影響を与えたのでしょうか。ご自身ではどう感じていますか?

yoikami:とてつもない、と思いました。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものだと思いますね。病院でのリハビリは、「できて当たり前のこと」をこなすものなんですよね。自分の場合、片足が動かなくても、動かない足をつっかえ棒にして動かせば100mは動くだろうと見込んでいたんです。

身体麻痺というと、力が入らなくなって動かなくなるというイメージをもたれがちですが、実際には筋肉のコントロールが効かない状態もあって、「力が入りすぎてしまう」「意に反して逆に動く」みたいなことも多く、やはり困難でした。

いかに人間が完成された体で動いているのかを痛感しつつ、「もうこの距離も歩けないんだな。もう自分はダメだ」と、既存のリハビリでは無力感に苛まれてしまったんですよね。また、歩行訓練以外には「ドミノを立てる」というようなものもあったんですが、これは純粋に面白さにかけていました。

対して、『VRChat』でダンスを学んでいたころは、ダンスの練習はもちろん、海外の方とも交流していましたから、ボディランゲージを使って意思疎通をしようと、どうにか身体を動かそうとしていました。あまり動きはしないんですが、「動かした結果」が誰かとのコミュニケーションにつながるので、達成感があったんですよ。まったくの無力じゃなく、「まだまだ動かないけど、今日はちょっと動いたな」って。

VRの友人たちも、そんな自分をよく見ていて、麻痺がある左手で何気なく拍手を2~3回できただけでも「yoikami! きょうは今日は左手がすごく動いてるね!」ってほめてくれました。両腕を上げる動きをこなせた時には、感動して抱きしめてくれましたね。言葉がわからなくても、たくさんの激励をくれていることが伝わるので、無力感は皆無でした。そんな彼らからエナジーを受け取っていって、やりたいことがどんどん増えていったんです。

それに、『VRChat』って普通の人ですら「どうやって操作するんだ?」と思うくらい、未知の場所じゃないですか。だから、「この場所でなにかできないこと」に、無力感を感じにくかったんですよね。マイナスが少なくて、すごくポジティブになれるリハビリ空間がそこにはあったんだな、と振り返って思ってます。

――大きな視点の転換ですね。「当たり前のこと」をできるようにするのではなく、「まだ誰もできないこと」をできるようにする、と捉えることで、リハビリに対して積極的になれると。マイナスからではなく、ゼロからスタートできる場所なんですね。

yoikami:おかげさまで、VRを始めてから半年ほどで、リハビリの成果が出てきました。もともと「左手では物を持つことも難しくなるだろう」と伝えられていたのに、ペットボトルを持つことも、文字を書くこともできるようになったんです。

お医者様からとても驚かれた……どころか「医学的におかしい」とすら言われました(笑)。5年くらい毎日リハビリをがんばればできるかもしれないことを、こんな短期間で成し得るのは異常事態、だと。「演劇における思い込みの力を使っているのでは」と、一度精神科で精神鑑定を受けさせられたほどですから(笑)。前例がないだけで、VRにはそのぐらいの可能性があるのだなと、自分では思っています。

――実際どのような効果があるのか、医学的な研究に発展していってほしいですね。

yoikami:つながっていってほしいですし、自分からも発信していきたいですね。

やはり、健常者からなにを言っても、障がい者には届きにくいところがあると痛感しています。「少しでもがんばったらどう?」と健常者の方に言われても、その「少し」が自分にとっては大変なんだと、塞ぎ込んでしまう。リハビリも嫌になってしまいます。でも、障がい者同士ならば、当事者なので通じるところがあるんです。私自身が、「イル・アビリティーズ」に元気づけられたように。

今後も、自分は障がいがあることを隠すことなく活動することで、障がいがある方や、塞ぎこんでいる方、将来に不安を抱えている方を勇気づけていきたいなと考えています。

■プレイヤーから、後進育成へ

――次に、yoikamiさんがどんな活動・実績を積まれていったのかを振り返っていければと思います。まず、最初の大きな実績は、『SXSW』のVRダンスコンテストで優勝したことですよね。

yoikami:2021年開催の『XR Avatar Costume Contest+Dance Contest』ですね。ありがたいことに優勝させていただきました。

とはいえ自分としては、評価いただけたのはうれしいものの、ダンスを始めて3年目でしたし、決して「自分は世界で1番ダンスが上手いんだ」とは思えなかったです。ただ、演劇人としての考え方に照らして「その称号だけは嘘をつかない」とも思い、その称号に対して負けない自分でなければならないなと考えました。

なので、そこからはひたすら、様々なイベントや国際映画祭からのオファーを、全てYESで返答し、出演を重ねてきました。発熱してしまったり、吐血してしまうことも多々ありましたが、一つでも出演を諦めると緊張の糸が切れてしまいそうで。オファーはもちろん、動画も毎日公開していました。

yoikami:合わせて、演劇についても学び直しを進めていって、その過程でダンスと演劇には共通するところがあるなと気づきました。ダンスにも脚本があり、演出がある。その理解が、より良いパフォーマンスにつながるんじゃないかって思ったんです。

そうしているうちに、レインダンス映画祭や、日産自動車様の『メタバース新車発表会』でのメインパフォーマー出演など、大きな舞台へのお誘いをいただくようになっていき、気が付けば「あれ、もう舞台に帰ってきてないか?」という状態になっていましたね。

――自分がyoikamiさんと知り合ったのがその時期でした。当時、『VRChat』の著名なパフォーマーとして認識していましたが、大きな転換期の中にいたのですね。

yoikami:そうですね。さらにそこから、2022年から2023年にかけて、自分の師匠筋にあたる人たちも亡くなり始めてきました。こうした流れを見ていて、自分はもう一人前の役者としてやっていくフェーズを過ぎていて、後進育成にも力を入れるべきなのではないかと考え始めました。

そこから、国際仮想現実ダンサー協会(VDA)やVR演劇協会など、環境を整えつつ講習会を開いたり、現実の学校でも特別講師として授業をさせてもらったりして、自分がダンサーとして後続のためにできることを全てやっています。

――『カソウ舞踏団』(yoikami氏が団長を務めるVRパフォーマー集団)の立ち上げと設立も、そうした後進育成の動きと連動したものだったのでしょうか?

yoikami:『カソウ舞踏団』はいわば、後進育成のプロトタイプですね。まだ誰もやったことのないジャンルの教育は慎重に展開したかったので、まずは彼らから育成を始めようと思い、2020年ごろから教育をスタートしています。

いまは全員がプロとして生計を立てられるまで成長してきましたが、手探りだったこともあり、彼らにはかなり苦労をさせてしまったなぁと思っています。ですが、おかげで後の教育展開へとつながる経験をたくさん得られました。

(後編へ続く)

(取材・文=浅田カズラ)

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