井岡一翔いざ七夕決戦、7月7日7ラウンドに何が起こる?41年前に赤井英和が見た夢の続き

Ⓒゲッティイメージズ

前日計量クリア「過去最高のコンディション」

プロボクシングのWBAスーパーフライ級王者・井岡一翔(35=志成)が7日、両国国技館でIBF同級王者フェルナンド・マルティネス(32=アルゼンチン)と2団体統一戦を行う。

6日には前日計量に臨み、井岡が52.0キロ、マルティネスが52.1キロでクリア。計量後の会見で井岡は「過去最高と言っていいコンディション。圧倒的な強さを見せて統一する、それだけです。必ず勝ちたい」と力強く語った。

マルティネスはリオデジャネイロ五輪に出場後プロ転向。2022年2月、ジェルウィン・アンカハスに判定勝ちで獲得した王座を2度防衛しており、16戦全勝(9KO)と無敗を誇る。

計量会場には母国の英雄リオネル・メッシのユニフォームを着て現れ、「2人ともグレートなチャンピオンなのでいい試合ができると思う。国を背負って戦う」と決意を示した。

身長は井岡より約8センチ低い157センチで、前進して距離を詰めながら戦う右ファイター。左ジャブを中心に華麗なテクニックを誇る井岡とは噛み合いそうで、KO決着も期待できそうだ。

1983年7月7日に7回KO負けした「浪速のロッキー」

七夕決戦で思い起こされるのは41年前だ。1983年7月7日、東大阪市の近大記念会館。当時、近畿大学に通いながらプロボクサーとしてリングに上がっていた「浪速のロッキー」赤井英和が、WBCスーパーライト級王者ブルース・カリー(アメリカ)に挑戦した。

赤井はデビュー以来12連続KO勝ちの日本新記録(当時)を樹立。破格のパワーと派手な言動でたちまち人気ボクサーとなっていた。

連続KOは13戦目で止まったものの、その後も2つ白星を伸ばして無傷の14連勝(13KO)。母校で念願の世界初挑戦が決まると、赤井は会見で「7月7日の7ラウンドKO」をぶち上げた。技術、ディフェンス面は世界レベルに達していなかったが、それまでの派手な倒しっぷりに、もしかしたら…という期待は高まっていた。

試合は1回から赤井が猛然と襲い掛かったものの、カリーが左右のフックで徐々に赤井のスタミナを削いでいく。中盤に早くもガス欠となった赤井は6回、気力を振り絞るように左右のパンチを繰り出し数発がヒット。カリーをロープに押し込む場面もあり、近大記念会館は大歓声に包まれた。

しかし、KO予告した運命の7ラウンド、赤井にはスタミナが残っていなかった。開始早々、カリーの強打を浴びて力尽きるようにプロ初のダウン。辛くも立ち上がったものの、最後は左フックを浴びて両膝から崩れ落ち、仰向けに倒れた。

赤井英和に憧れてボクシングを始めた叔父・井岡弘樹

赤井はその後、エディ・タウンゼントトレーナーの指導を仰いで再起5連勝。1985年2月5日、2度目の世界挑戦の前哨戦で大和田正春にまたも7ラウンドKO負けした。

試合後、意識不明に陥って緊急開頭手術。一時は生死の境をさまよい、一命は取り留めたもののボクサーとしては引退を余儀なくされた。

七夕に彦星・赤井が手の届くところまで近付きながら織姫はするりと逃げていった。儚く散った夢は日本中に感動を与え、赤井に憧れて同じグリーンツダジムでボクシングを始めたのが井岡弘樹だ。エディ・タウンゼントトレーナーの英才教育を受けた井岡弘樹はグリーンツダから初の世界王者となり、2階級制覇を果たした。

41年後、その甥・井岡一翔が七夕のリングに上がる。今度こそ織姫に巡り合えるか。7月7日の7ラウンド、41年越しの夢が叶うかもしれない。



© 株式会社グラッドキューブ