『旋風』は選挙シーズンの今観るべき一作 圧倒的リアリティで問いかける“政治とは何か?”

この夏は政治への視線が熱い。現在、アメリカでは11月に控えた大統領選挙の候補者選びの討論会が開かれている。そして東京では、4年ぶりの東京都知事選だ。現職の8年間の成果を問う意味でも、日本の首都として国政への影響力を考える意味でも日本中の注目を浴びている。日本の地方自治体のトップの改選は、何らかの理由による任期途中での辞職を除き4年に一度だけ。国民が政治に直接参加できるチャンスは多くはない。

周知のように、韓国ではアメリカと同じく大統領を直接選ぶ。2期まで務められるアメリカと違うのは、任期の5年を終えると再選は出来ない。かつて時の権力者が政権維持をするために選挙制度を自分有利に変更し、間接選挙制を敷いた韓国では、1987年6月の「民主化宣言」による憲法改正で国民による直接選挙制度が復活、定着した。一度奪われたからこそ、韓国人に取って為政者を選ぶことは国民の切実な生存権なのである。この人こそと決めた候補者を、自分たちの代表として全力で国政に送り出すための熱はそれゆえなのかもしれない。

6月28日より一挙配信されたNetflixドラマシリーズ『旋風』は、今こそぜひ観てほしいドラマだ。

チャン・イルジュン大統領(キム・ホンパ)政権で首相を務めるパク・ドンホ(ソル・ギョング)は、汚職疑惑で逮捕間近だった。しかし真相は、チョン・スジン経済副首相(キム・ヒエ)が自身の夫ミノ(イ・ヘヨン)の企業との癒着や、同じく裏金を得ていた大統領を守るためにドンホに罪を着せたのだった。彼らの不正を告発しようとしていたソ・ギテ議員(パク・ギョンチャン)は2人に報復され、自ら命を絶つ。ギテとは検事時代からの盟友だったドンホは、自身に汚名を着せ、ギテを死に追いやった者に裁きを受けさせるため、大統領の暗殺を企てる。

脚本を手がけたのは、パク・ギョンス。腐敗した財閥と政治の犠牲になった娘の復讐を誓う父親の姿を描く『追跡者(チェイサー)』、巨大企業を舞台に人間の欲望をえぐり出す『黄金の帝国』、余命宣告をされた悪徳検事が初めて正義を遂行していこうとする『パンチ~余命6カ月の奇跡~』という、人間の権力にまつわるドラマ「権力3部作」で名を馳せた社会派作家だ。

人間がいかに権力を欲し、あらゆる手を使い大義名分を作り出すかや、業深い者に抵抗する庶民の姿を、現実に軸足を置くリアリティで上質なエンターテインメント作品として生み出してきた。彼の7年ぶりとなった新作『旋風』は、「信じることもできず、立ち上がることもできず、今の世の中は醜い私たちだけでどうにかしなければならないのは正しいが、今の現実はあまりにも息苦しいので、視聴者にドラマでも“白馬に乗った超人”が世界をひっくり返そうとする話を書きたい」(※1)と意気込んだように、パク・ドンホというダーティーヒーローと、知恵者チェ・スジンによる息もつかせぬ駆け引きと怒濤の展開がスリリングな快作でもある。

聖書や、カエサルといった歴史上の人物を比喩にしつつ、「醜い世界に耐えられない私のために。不義な者たちの支配を受け入れられない私のために。一緒に行こう。地獄へ」(パク・ドンホ)や、「強いものが正しいものに勝ちます。政治がそうです」(チェ・スジン)といった知性を感じさせる簡潔なセリフも見事だ。ドラマ出演は実に23年ぶりとなる“信じて見る俳優”ソル・ギョングと、『クイーンメーカー』で敏腕フィクサーを好演したキム・ヒエという、メインキャストをはじめとする演技巧者たちも完成度を高めた。

また、韓国の政治ドラマが得意とする地に足のついた設定もちりばめられている。たとえばチャン・イルジュンのノーベル平和賞授賞は、キム・デジュン元大統領の実際のエピソードであり、パク・ドンホのセリフ「私の未来に、パク・ドンホはいない」やラストで滑落死を装う描写はノ・ムヒョン大統領を想起させるなど、実在する政治家との類似点が韓国でも指摘されている。モチーフについては、ソル・ギョングは「パク・ドンホという人間を描いたのであり、誰か特定の個人であったら“できない”と言ったと思う」と否定し(※2)、キム・ヒエ本人も明言を避けている(※3)。しかし、いずれにせよ誰かをありありとイメージさせるほどのリアリティが、ドラマを肉厚にしているのは確かだ。

とりわけ新鮮なのは、男性と女性の政治家が、互いを出し抜き、罠にかけるなど完全に対等にぶつかり合うストーリーラインだ。ドンホによる暗殺未遂により昏睡状態で搬送された大統領を、スジンは大統領の死を利用して後継者となるために、息の根を止める。大企業の不正を暴けず悶々としていた検事のドンホへ政界転身を促したのはチャン・イルジュンで、彼の右腕だったスジンは良き先輩であった。元々は人権派弁護士で、清廉だったイルジュンを盛り立てながら手を取り合ったドンホとスジンがいつしか道を違え、敵同士になる。こんな愛憎の物語構造はヤクザやギャングといった男社会のクライムノワールで見られてきたが、その間、女性は男性を見守るか彼らの犠牲になるかだった。政治手腕に長けあらゆる策略をめぐらすスジンが持つ陰影は、女性キャラクターのクリシェから逸脱していて見応えがある。

ストーリーやキャラクター造形のみならず、ドラマの持つ深いメッセージもまた本作の魅力だ。ドンホは汚職を隠蔽したスジンに対し、「なぜ君は独裁に反対し、クーデターに抵抗を?」「産業化をなしとげ、国を発展させたのに?」と詰問する。30年前、スジンは学生運動の代表的な団体の宣伝部長として権力へ抵抗していた。彼女の変節は、韓国で政治経済の中枢を担う“586世代”の姿をよく象徴している。

“586世代”はかつては“386世代”と呼ばれており、こちらの方が耳に馴染みがあるという方も多いのではないだろうか。1990年代に30代で、1980年代の民主化闘争にかかわった1960年代生まれのことで、彼らが現在50代になった今は“586世代”と呼ばれるようになった。

30年前、スジンと夫のミノは学生運動の団体で民主化デモに命を懸けた2人であり、人権派弁護士として投獄されたチャン・イルジュンを支持したスジンも、逮捕された経験がある。のちにドンホとスジンの“コマ”となるチョ・サンチョン議員(チャン・グァン)は、スジンに苛烈な拷問を加えた公安検事だった。独裁政権の負の遺産が今も政治の中枢で力を持っているのだとすると戦慄するが、同時に虐げられながらも勇気と信念で国家権力を覆した世代が、結局その後腐敗に手を染めているのもまた苦々しい。

こうした設定は、製作陣によれば特定の世代への言及や批判ではないということだが(※4)、既得権益化した左派の市民学生運動の世代とそれ以降の世代における葛藤や軋轢は、韓国社会では社会的イシューとなって久しく、韓国の視聴者は誰でも気づいているだろう。586世代が学生として反体制運動をリードした頃、韓国経済は高度成長期だった。彼ら彼女らは、卒業後に大手企業などへ就職した。そして今はさまざまな組織の幹部となっている。政界入りした者も多かった。長い就職難にあえいでいる若者世代から見れば、586世代が批判した独裁者のパク・チョンヒ大統領が成功させた経済成長「漢江の奇跡」で富を手にした既得権益世代にしか見えないのだという(※5)。

大統領を手にかけたパク・ドンホにもチョン・スジンにも、互いに“信念”があった。しかし前者は危険で、後者は歪んでいた。チョン・スジンはミノの収賄を責めたとき「あなたが、私が、パク・ドンホであるべきだった」と慟哭する。「腐った世の中をどうするか。俺たちの問いは一緒。答えが違うだけだ。俺は自分の正解を信じて問いを貫き通す」と毫も引かないドンホの自殺は、スジンを法廷に立たせるための捨て身の結果だったが、正しさからどんどん逸れていく自分を罰した意味もあったのではないか。

道を誤ったスジンの堕落に、政治とは政権や体制、ましてや個人を守ったりおもねたりすることではないと改めて痛感させられる。では正攻法なら何かが変わるかと言えば、「偽りに勝つのは真実ではなく、より大きな偽り」と手を汚すドンホは破滅に向かう。生きる現実の中でも私たちはそんな苦々しさに直面することがある。一体政治は何のためにあるのだろう? ドンホの秘書でソ・ギテの妹ジャヨン(イム・セミ)は、「正義も法も兄を救ってくれなかった」と言い放ち、政治の無力さを責める。ドンホとギテの親友で、検察総長のジャンソク(チョン・ベス)はこう彼女に語りかける。そのセリフが、政治がなすべきことを最もよく表現していて、いつまでも胸に響く。法と原則を守り正義を貫こうとし、何度もドンホに苦言を呈するジャンソクは、ドンホが真に夢見た姿だったのではないだろうか。

「時間を要しても、悔しくて涙を流しても、俺は信じる。世界は正しくなってると。耐えてふんばりながら、俺は最善を尽くすだけ」

参考
https://youtu.be/7F4jFSYLbl8?si=0-6jUGQEz2WuDgUC
https://www.hankyung.com/article/202407039019H
https://m.etnews.com/20240703000389
https://toyokeizai.net/articles/-/303310
(文=荒井南)

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