加藤雅也、つかこうへいからの舞台オファーも「“できない”とは言うのは恥ずかしかったので、“やらない”」自信がなければうまくいかないと思っていた過去

加藤雅也 撮影/柳敏彦

『メンズノンノ』創刊号のファッションモデルを務め、パリコレにも出演した経験のある加藤雅也。1988年に俳優デビューし、今もなお活動の場を広げている。近年では地域密着型の映画を撮影することで日本のことをもっと知りたいという彼の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

映画で主演が決まればうれしいですよ。この世界は運もあるから、流れに乗れるときは乗ってしまわなければならない。しかし、しっかりとした根拠の上に成り立つ自信がなければ、ものごとはうまくいかないと思っていました。

つかこうへいさんから、舞台出演のラブコールをいただいたこともありました。「舞台はやらないです」と言って、当時はすまして答えていましたが、本心では「できない」という思いでしたね。本当に実力がある人でなければ、舞台はできないと僕は思っていましたから。でも、「できない」とは言うのは恥ずかしかったので、「やらない」とカッコをつけていました。だから、実際に舞台の仕事をするまで、けっこう時間がかかってしまいましたね。

一方で、90年代に目を向けたのがアメリカです。勉強のためにも、アメリカで挑戦してみようと考えました。何も分からないけど、どんなところか見てみたいと思ったんです。そして、実際にアメリカに渡ってみると、演技だけにとどまらず、ショービジネスそのものに対しても、学ぶきっかけになりました。

例えば、ショービジネスというのは、常に世界の事情とつながっていると思うんです。かつては、日本人の女性がアメリカ人男性を好きになるドラマは成立するが、逆は成立しないと言われていました。これは、日本人がアメリカを憧れすぎていた時代の話だと思うんです。しかし、いまや時代が変わりました。日本人のベースボールプレイヤーやバスケットボールプレイヤーが世界で活躍するのは当たり前になっています。今ならば日本人の男性を好きになるアメリカ人女性のラブストーリーだって、成立すると思うんですよね。だから男の役者でも、十分にアメリカで通用する時代になったと思います。

日本をもっと知りたい

世界に挑戦したい若い俳優たちには、ショービジネスを考えるうえで、ロシアとウクライナ、イスラエルとガザの問題とか、そういうことにも、常に目を向ける必要があるとアドバイスをしたいです。自分の意見を主張する必要はありません。でも、さまざまな世界の問題を自分のこととして、グローバルな問題も考えてみるべきです。円安、円高のときで、日本とアメリカ、どちらで仕事をしたほうが良いのかと考えることだって必要です。

また、アメリカでは日本のことを聞かれることも多かったです。「ゲイシャやサムライはいるのか?」というのから始まり、日本の文化や社会、政治、宗教のことまで尋ねられても、僕は答えられなかったんです。自分が日本のことを全然知らないということに気づかされました。

だから、ということでもないのですが、最近は、地元の奈良市の観光特別大使を務めていますし、これまで沖縄、広島、奈良、など地方密着型の映画製作に携わってきました。

これも日本をもっと知りたいという思いの一環です。そもそも、すべての事件や恋愛が東京で起こるなんてことはない。地方を舞台にして撮影してみると、同じストーリーでも、まったく違って見える効果もあるんですよね。

今回は、山口県下関市を舞台にした映画を撮りました。これきりにせず、今後も地域密着型の映画は必要だと思っています。

加藤雅也(かとう・まさや)
『メンズノンノ』創刊号のファッションモデルを務め、パリコレにも出演。モデル活動を経て、1988年に『マリリンに逢いたい』で俳優デビュー。現在はラジオDJ、写真家としても活動の場を広げている。近年の主な出演作に『1秒先の彼』『カムイのうた』『カラオケ行こ!』『キングダム』がある。レギュラー番組は『加藤雅也のBANG BANG BANG!』(FM yokohama)。初の著書である『僕の流儀What’s Next?』が発売中。Instagram:@masaya _kato1192

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