ドイツで不妊治療を経験。9回目の人工授精で授かった命は同時に三つ。29週目に緊急帝王切開で1000g未満の三つ子を出産【多胎出産・体験談】

妊娠29週で緊急帝王切開で出産となりましたが、3人とも元気に育ってくれました。

2009年にドイツ人の夫と結婚し、ドイツ在住のあさみさんは、2010年から不妊治療を開始しました。そして2015年、9回目の人工授精で想像もしていなかった三つ子を授かります。あさみさんに、ドイツでの妊娠生活や、出産について聞きました。
全3回のインタビューの2回目です。

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父の誕生日に「孫ができるよ」と報告

――人工授精で三つ子を授かった後、妊娠中はどのように過ごしましたか?

あさみさん(以下敬称略) 妊娠前は、レストランのホールスタッフと、知り合いのお子さんのベビーシッターの仕事をしていたんです。でも、妊娠がわかってから医師からは「できるだけ安静にしてください」と言われたので、どちらの仕事も早い段階で辞めることにしました。

――夫さん家族や、あさみさんの家族には妊娠したことについてどのように報告しましたか?

あさみ 夫の両親には妊娠がわかってすぐ報告しました。私には妹がいるのですが、電話をして「三つ子を授かった」と報告しました。妹はずっと不妊治療を応援してくれていたので、とても喜んでくれると同時に、三つ子だということにとても驚いていました。

私の両親も孫を楽しみにしていたのですが、結婚後数年たっても子どもができない私たちに気をつかって何も言ってきていなかったんです。だから、三つ子の妊娠をすぐにでも報告したい気持ちがありました。でも、不安定な時期に報告し、万が一何かあったら悲しませてしまいます。だから、なかなか言い出せませんでした。婦人科で赤ちゃんの心拍を確認できてから父の誕生日に報告しようと決めました。

婦人科で無事に心拍が確認されたので、父の誕生日に、テレビ電話をして「誕生日おめでとう!おじいちゃん!」と歌って報告しました。両親とも大喜びしてくれました。とくに母は、娘の私がなかなか子どもを授からず、つらい思いをしているのが苦しかったようです。私が念願の妊娠をしたことがうれしくて泣いていました。三つ子だと報告をしたら、やっぱりとても驚いていました。そして、「無事に生まれて来てくれるなら何人でもいい!」と言ってくれました。

その年、父は還暦を迎えて定年退職し、時間に余裕ができていたんです。夏に両親で一緒に1カ月ドイツに滞在してくれました。おなかに赤ちゃんがいる様子を見てもらえたし、母には食事を含め、家事全般頼りました。ありがたかったです。

つわりは軽かったものの、おなかはいつも張った状態。坐骨神経痛で動けず、ほぼ家にいる状態に

妊娠29週で生まれた赤ちゃんたちはすぐにNICUに入院することに。

――三つ子妊娠ということで、妊娠中は体調の変化などはありましたか?

あさみ つわりがほとんどなくて、逆に大丈夫かなと思うくらいでした。三つ子だから妊娠中も3倍大変なのかと思っていたのですが、そういうわけではないようです。ただ、おなかの張りや坐骨神経痛で腰が痛くなり動けなくなってしまいました。だから、仕事を辞めてからはほぼ家にいて、できるだけ静かにしていました。

――おなかの赤ちゃんの成長はどうでしたか?

あさみ 赤ちゃんは順調に成長してくれました。ただ、赤ちゃんが1人だったら妊婦健診は4週間に1回くらいだと思うのですが、三つ子だったので2週間に1回来るように言われたんです。妊婦健診でのエコーは、毎回1時間かそれ以上かかりました。あるとき、エコーのときに、「ぜひ研修医にも見せたいのですが、いいですか?」と聞かれたこともありました。
三つ子のエコーはなかなか見られるものではないと思うので、承諾したところ、研修医の人たちも見学していました。みんな、おなかの中で三つ子の赤ちゃんが動いているのを見るのが初めてで驚いていました。

――病院まではどのように通っていましたか?

あさみ 妊娠したころは駅の近くに住んでいて、交通の便がよかったので、車を手放してしまっていたんです。妊婦健診は電車で通っていました。

ドイツには日本のようにマタニティマークをバッグなどにつける習慣はありません。でも、困っている人がいたら手を貸すのが当たり前の雰囲気があります。電車の中に妊婦がいたら、自然と席を譲ってくれる感じです。
また、欧米の人たちは自己主張をしっかりするので、だれかが席を譲ってくれるのを待つのではなく、「私は今、体調が悪いから座らせてくれない?」と、自分から積極的に伝えている場合が多いようにも感じています。

妊娠21週目に緊急入院。食事は驚くほど簡素で、トースト1枚だけのことも

病院での食事は簡素で、夕食はパンだけのこともありました。

――出産まではずっと順調だったのでしょうか?

あさみ 妊娠21週目くらいに緊急入院しています。おなかの張りがひどくて違和感があったので、婦人科に連絡をしたらすぐ来るように言われました。まさか入院するとは思わず、普通に外出するときの荷物だけを持って病院に行きました。すると、子宮頸管(しきゅうけいかん)が短くなりすぎていて、生まれる準備が始まっていると言われました。まだおなかの赤ちゃんたちも体の機能が十分な状態ではありません。そこで、妊娠を継続させるためにすぐ入院する必要があると告げられました。

ドイツだと、妊婦健診などを行うのは婦人科、出産は産院と、担当する施設が別なんです。私は三つ子だったから、NICUのある病院で出産をするように言われていました。そこで、大きな市民病院に出産の予約をしていたんです。その病院に連絡をして再度検査をしたら、やっぱり入院は必要だとのことで・・・。何日入院するかはその段階ではわからず、体調しだいとのことでした。入院中はずっと安静にしていました。

――入院生活はどうでしたか?

あさみ 私は夫の扶養で公的保険に入っていたため、何カ月入院しても、手術をしてもすべて無料でした。

無料なこともありましたし、文句は言えないのですが、食事が本当に簡素で・・・。ドイツでは昼食が1日で一番メインとなる食事です。だから病院でも肉料理などが出ました。でも、あまり健康に気をつかったものではなく、野菜は少なく味が濃かったです。夕食はトーストだけということもよくありました。お見舞いに来てくれた友人が同情するくらいシンプルなメニューでした。

入院生活は2カ月。妊娠28週を超えたところで破水してしまい…

28週2日で破水した際、妊娠を継続させるために薬を点滴しました。

――どれくらいの期間入院していたのでしょうか?

あさみ ちょうど2カ月くらいです。赤ちゃんの体ができあがり、母体の外で生きていくだけの最低限の機能が備わる妊娠28週まではおなかにいてもらい、3人とも体重800gくらいまで大きくなってもらうのが第一目標でした。

――胎動を感じるようになったのはいつくらいからですか?

あさみ 妊娠23週目くらいからなんとなく胎動を感じ始め、妊娠26週目くらいから服の上からでも動きがわかるくらい活発に動き始めていました。

入院して安静にしていたおかげもあり、最初の目標だった妊娠28週までは赤ちゃんたちにおなかにいてもらうことができました。そのころはおなかの子どもたちの推定体重は800g~900gくらいでした。赤ちゃんはおなかの中で、下に1人、その上に2人が左右に位置していました。下にいる子はほかの2人に押されているのか、一番小さかったです。

おなかのなかに3人いると、胎動も激しくて寝ているのもつらいくらいでした。どの方向を向いていても苦しいし、左右どちら側にも赤ちゃんがいるので、ずっと同じ方向を向いて寝ているのも押しつぶしているみたいでかわいそうで・・・。でも、寝返りも大変な上に、膀胱のすぐ上にいる子が動くたびにトイレに行きたくなりました。

入院中、夫は時間があれば面会に来てくれました。家にいる間は、家事もしてくれて、1人で赤ちゃんを迎える準備をしてくれてありがたかったです。

28週を超えてほっとしていたのですが、28週2日目に破水してしまったんです。一番下にいる子の羊水が流れてしまったらしいです。まだ出産するには早く、もう少し妊娠を継続させる必要があるとのことでした。破水を抑えるため1日3回、薬を点滴投与されました。おかげで少しは落ち着いた状態にはなりました。とはいえ、その状態では赤ちゃんの体の機能がしっかりと作られる妊娠37週までは妊娠を維持できない、おそらく早産になるだろうと言われました。

妊娠29週で緊急帝王切開で出産することに

緊急帝王切開で生まれた三つ子は、自分で呼吸はできたものの2~3カ月入院しました。

――出産したのはいつごろでしょうか?

あさみ ちょうど妊娠29週に入った日です。朝、起床すると生理痛のような強い痛みが等間隔にありました。トイレに行ったらおしるしもあったんです。看護師に伝えると「もう陣痛が始まっている」と言われました。驚く間もなく、すぐに医師が来て子宮口をチェックされました。すでに3~4センチに開いていたので、そのまま緊急帝王切開が決まりました。

心の準備もできてないまま、あっという間に手術着を着せられ、手術室に行くことになりました。もともとは予定帝王切開の予定で、夫も付き添ってくれるはずでした。でも、あまりにもあわただしくて私は夫に連絡ができませんでした。代わりに看護師が夫に電話をしてくれて、すぐ駆けつけてくれました。でもあまりにも急だったため、お産には間に合いませんでした。

――本当にあわただしかったのですね。

あさみ 緊急帝王切開が決まって20分後には局部麻酔を打たれました。麻酔医が、わかりやすい英語で、不安を取り除くように状況を説明してくれて安心できました。

麻酔が効いてからは、おなかをぐいぐい押され、1人目の女の子が産声を聞かせてくれました。1分後、再び女の子がとり上げられ、最後に男の子が産声を上げてくれて、ほっとしました。おなかの中で一番下にいたのは長女で910g、一番小さく生まれたのは長男で740gでした。二女は1050gでした。狭いおなかのなかで3人、スペースを分け合い、頑張ってくれていたんだと思うと、無事に生まれてくれて本当にうれしかったです。

――出産前、赤ちゃんの性別はわかっていたのですか?

あさみ 男の子と女の子がいるのはわかっていたのですが、1人だけずっと性別がわからなかったんです。

私は自分に妹がいるし、夫が5人兄弟だから、なんとなく女の子が2人、男の子が1人だったらいいなと思っていたんです。結果的に、子どもたちの性別は私の希望どおりでした。

長女と長男は出生後約2カ月、二女は3カ月入院後、ようやくわが家へ

この日、初めて長女が目を開きました。

――生まれた赤ちゃんたちをすぐに抱っこできましたか?

あさみ 赤ちゃんたちは3人ともまだ小さかったため、産後はすぐNICUに運ばれていきました。生後3日目に二女の抱っこを許可されたんです。抱っことはいえ、タオルに巻かれ、授乳クッションの上にチョンと乗せる感じでした。産後5日目に、長男を抱っこしていいと許可が出ました。そのときに、肌に直接子どもを感じることができて感動しました。

私は子どもたちより一足先に出産後6日目に退院しました。退院後、生後7日目の長女も抱っこすることが許可され、夫が抱っこしました。わが子を胸に抱いた夫は、とっても感動していました。

――生まれてすぐNICUに入ったという赤ちゃんたちですが、退院したのはいつごろですか?

あさみさん 退院時期はバラバラでした。長女が一番早く、生後2カ月で退院しました。長男も同じタイミングで退院する予定でしたが、感染症の可能性があると言われ、様子を見ることになりました。長女の2週間後くらいに退院することができました。

二女は退院は生後3カ月でした。二女はちょっとおっとりした性格だったのか、ときどき呼吸するのを忘れてしまっていたんです。背中をぽんぽんっとたたいて、呼吸するのを思い出させることが結構ありました。入院中は機械につながれているから、呼吸をしていないとすぐわかるけれど、家に帰ると見過ごす可能性があります。だから、ちゃんと呼吸ができるようになるまで様子見をしていたんです。

三つ子が全員退院し、夫婦2人の生活が一気に5人家族となり、とてもにぎやかになりました。大変なこともありますが、毎日とても楽しく過ごしています。

お話・写真提供/あさみさん 取材・文/齋田多恵、たまひよONLINE編集部

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おなかのなかで3人の赤ちゃんが大きくなり、胎動を感じるのはうれしさとともに体への負担も大きかったことでしょう。それでも無事に出産し、長年待ち望んでいた赤ちゃんに対面できたときの喜びをあさみさんはうれしそうに話してくれました。

あさみさんのブログ「ドイツ人旦那+三つ子ちゃんとの生活日誌in Germany♡」

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●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年6月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

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