浦尻貝塚...小高の「宝」 南相馬・縄文の丘公園、9月全面開園へ

9月7日開館のガイダンス棟を前に「貝塚は浦尻の目玉」と期待を寄せる(左から)志賀さん、鶴島さん、小野田さん =南相馬市小高区・浦尻貝塚縄文の丘公園

 南相馬市小高区浦尻地区の国史跡「浦尻貝塚」に市が整備している「浦尻貝塚縄文の丘公園」は9月7日、全面開園する。市は当初、2013年の開園を目指していたが、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で一時中断を余儀なくされた。原発事故による避難指示解除から今月12日で丸8年。「貝塚は浦尻の目玉。公園からの眺めや、昔の人の暮らしぶりを見てほしい」。古里の歴史と文化を伝える拠点の完成を前に、地元住民が期待を膨らませている。

 公園では縄文時代の貝塚を見学できる「貝塚観察館」が昨年7月に先行開館しており、「ガイダンス棟」のオープンで全ての施設が完成する。ガイダンス棟には縄文時代の生活の様子を描いた絵があり、触ることもできる。津波の痕跡が残る地層を展示するほか、縄文人が利用していたクルミの木が茂る散策路も設けた。

 住民ら維持管理に協力

 浦尻地区の住民は震災前から貝塚の発掘調査に携わるなどしてきたが、原発事故で約5年間立ち入りが制限された。避難指示解除後は草刈りなど維持や管理を行い、昨年からは観察館の戸締まりを当番制で担って公園を支えてきた。

 「できることは協力したい」。浦尻地区で生まれ育った小野田治さん(74)もその一人だ。震災前に約110戸あった世帯数が約30戸に減る中、「集落の起爆剤になるのでは」と考えた。津波で自宅が流され、県内外で避難生活を強いられたが、日中の立ち入りが可能になると集落や貝塚を見て回り、16年の避難指示解除に伴いすぐに浦尻に戻った。

 「斜面になっていて草刈りが大変だけれど、奉仕作業だから」と小野田さん。一緒に汗を流す区長の鶴島富二夫さん(65)は「公園ができるのは光栄」と喜び、副区長の志賀昌幸さん(65)も「貝塚を少しでも知ってほしい」と期待を寄せる。

 市は09年に整備基本計画を立て、市民の意見も交えて13年の開園へ準備を進めてきた。震災と原発事故で再開は難しいとの見方が出たが、市文化財課長の川田強さん(53)は「住民が後押ししてくれた。地元の人が大事にしている場所だと知ってもらいたい」と語る。

 震災伝承の地にも

 公園には津波で陸地に流された消波ブロックや、震災前の浦尻地区の街並みを写した写真パネルなども置いた。川田さんは「震災や原発事故の場所として外から訪れる人もいる。被災者に配慮しながら情報を伝えたい」と伝承で果たすべき役割を挙げた。(佐藤健太)

■浦尻貝塚 太平洋を見晴らす高台にある縄文時代(5700~2800年前)の集落遺跡。貝塚のほか、住居や墓、木の実を蓄える穴などが見つかっている。集落が続いた約3千年間に生活の痕跡が蓄積されたことなどが評価され、2006年に国史跡に指定された。指定面積は約7ヘクタール。

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