「非財務価値」をいかに可視化しROEにつなげるか――KDDIと日清食品ホールディングスの取り組み

Day1 ブレイクアウト

ESGや企業理念、人的資本など「非財務価値」を可視化し、さまざまな概念やフレームワークに従って開示することが、ますます重要になってきている。さらに投資家との対話では、非財務情報の発信だけでなく、そうした価値をいかにROE(株主資本利益率)などの資本指標で表すかに踏み込む必要がある。本セッションでは、非財務指標と企業価値の関連性を定量的に示す概念フレームワーク「柳モデル」を用いた、KDDIと日清食品ホールディングスの取り組みを紹介。企業の資本収益性と成長期待を高めるために非財務価値をいかに顕在化し、活用するべきかを議論した。(松島香織)

ファシリテーター
今野愛美・アビームコンサルティング ダイレクター Digital ESGサービス責任者、早稲田大学ESG講座 招聘講師
パネリスト
柳 良平・アビームコンサルティング エグゼクティブアドバイザー、早稲田大学大学院 会計研究科 客員教授
矢野絹子・KDDI サステナビリティ経営推進本部 本部長
横山之雄・日清食品ホールディングス 経営企画部 取締役・CSO 兼 常務執行役員

2015年から2022年までエーザイのCFOを務めていた柳 良平氏は、同社の企業理念や患者へ貢献している価値を、ファイナンス理論を用いて数字で示すことに長年をかけて取り組んできた。そして2018年に、非財務情報を可視化するための概念フレームワーク「非財務資本とエクイティ・スプレッドの同期化モデル」(通称「柳モデル」)を完成させた。

講演資料より

柳氏は、「このモデルの成立要件は、ロングターム(長期)が前提となる」とし、「見えない価値を見える化し、ESGの価値を顕在化できれば、PBR(株価純資産倍率)が向上するという蓋然(がいぜん)性もあることを示すモデル」と説明した。

ハーバードビジネススクールのジョージ・セラフェイム教授や、元ブラックロックのエリック・ライス氏などが「柳モデル」を評価しているが、「“絶対的な解”はないとご理解いただきたい」と柳氏は付け足した。また柳氏は、日本の経営者が訴求する社会貢献やパーパスなどと、外国人投資家や東証が要求するROEや資本コストの意識は「二律背反ではない」と強調する。そして「柳モデル」は、「(企業の資産が付加価値を生んでいる)PBR1倍以上につながっていくというWin-Winのモデル。すなわち社会的価値と経済的価値の両立が可能であり、(渋沢栄一の)『論語と算盤』だ」と述べた。

「柳モデル」で分析したエーザイのESGのKPIとPBRの関係では、「1割人件費を増やすと5年後のPBRが13.8%上がる」「研究開発投資を1割増やすと10年超でPBRが8.2%拡大する」などの結果が出た。柳氏は「企業価値を高めることを95%の統計確率で証明した」としつつ、同時に「サンプル数が少ないこと」「相関であって因果でないこと」を課題に挙げた。

柳氏

柳氏はさらに「数字で示す」ことの重要性を説き、事例として、エーザイジャパン単体の雇用インパクト会計を説明した。同社の給与合計人件費は、約360億円であり柳氏は「360億は費用でなく“価値”だと言って来た」としつつ、加減算して賃金の指数で限界効用と男女の賃金差を調整し、雇用インパクト会計として、投資効率は75%という数字が出たという。

「この比率は米国平均を上回っている。人材の投資効率があると示された。これを人事や組合にも共有することで、弱点である女性管理職を2030年に30%にするという目標設定の、数字的エビデンスとして活用してきた」と柳氏。

さらにエーザイが2014年から2018年の5年間で、25カ国に無償配布した薬の社会的インパクトを算出。薬を摂取した人たちの労働時間と平均余命と最低賃金を考慮して出した社会的インパクトは、7兆円だった。柳氏は「これを平均余命で割り返すと、年間1600億円の価値をこの薬の無償提供によって生んだ」と説明する。

「これはパーパスの証明であり、『柳モデル』とインパクト加重会計の数字で社会的価値と経済的価値の両立が可能であることを示した。この数字は、従業員のモチベーションやお客さまへの貢献を高め、そして長期投資家に訴求する」と柳氏はまとめた。

積極的に情報開示、企業価値につなげていく――KDDI

矢野氏

KDDIが取り組んでいる「中期経営戦略 (2022-2024年度)」では、パートナーとともに社会の持続的成長と企業価値の向上を目指す、サステナビリティ経営を軸としている。5G通信を核としながら、その周辺にある注力領域を広げていく「サテライトグロース戦略」を基に、非財務による経営基盤強化から環境・社会・企業の価値向上を目指す。なぜ、同社が非財務価値の可視化に取り組むのかについて、矢野絹子氏は「積極的に情報開示をして、あらゆるステークホルダーの皆さまに理解・評価していただき、企業価値につなげていく必要がある」と説明した。

同社は2020年度に「柳モデル」を用いて、215項目の非財務データとPBRとの相関関係を分析した。「女性社員の割合を1割増やすと13年後のPBRが3.4%向上する」「企業フィロソフィーなどの勉強会の回数を1割増やすと、1年後のPBRが0.2%向上する」といった結果が得られたという。「こうした内容は決算発表で公表したり、統合レポートに記載したりした。投資家からもこの取り組みは評価していただいている」と矢野氏は話す。

だが、「相関は見えたが、因果はどうなんだろうという疑問が出てきた」と矢野氏は続ける。さらに分析を進めて、スコープ1・2で温室効果ガスの排出量を削減したり、男性の育休取得率を向上すれば、企業価値が上がるなどの関係性が見えてきた。現在、インパクト加重会計による算出にも取り組んでいるという。

3つの手法でESGを定量化――日清食品ホールディングス

横山氏

日清食品ホールディングスは、創業者の「戦後の食糧難の中、誰でも簡単に作れるラーメンを提供したい」という思いから設立された。現在、即席めんでは世界17カ国、36工場で展開している。常に新しい食の文化を創造し続ける「EARTH FOOD CREATOR」というビジョンを掲げて、環境・社会課題を解決しながら持続的な企業の成長を果たすことを目指す。

ESGの定量化の取り組みとしては、3つの方法を取っているという。1つ目は「柳モデル」を用いてESG指標とPBRの直接の相関を分析する「俯瞰(ふかん)型分析」。2つ目はESG指標とEPS(1株当たりの純利益)、PER(株価収益率)の関係性に加えESG指標同士も分析する「価値関連性分析」。3つ目は施策と従業員エンゲージメント要素の相関を分析する「VTA(Value Tree Analytics)分析」だ。

「俯瞰型分析」では、「研究開発費が1%増加すると、7年後のPBRが1.4%増加する」という結果が表れた。同社の横山之雄氏は、「こうした結果は、長年培ってきた加工技術に基づく『フードテックカンパニー』としての取り組みを加速させていく上で大きな意味を持つ」と力を込める。

さらに、アビームコンサルティングが「柳モデル」を使用して日本企業を分析し、2022年6月に公表した「企業価値を向上させるESG指標TOP30」を活用。他社平均値と自社の数値を比較し、「原材料使用量」や「育児短時間勤務利用者数」など30の指標のうち、15指標で望ましい相関が見えた。多くは人的資本に関わる指標だったという。

横山氏は「さらにインパクト加重会計という形で、どのようにインパクトを会計上出していけるかにもチャレンジしていきたい」と抱負を語った。

「ESGを低いROEの言い訳にしていないか」海外からの厳しい声

ファシリテーターを務めたアビームコンサルティングの今野愛美氏は、両社に「どのような必要性を感じて、『柳モデル』やインパクト加重会計という手法の採用に至ったのか」と質問。矢野氏、横山氏とも、まず投資家などの外部からの要請があったと回答した。2人の話を受けて柳氏は、「海外の投資家から、『ESGのためのESGでは駄目。日本企業のESGやサステナビリティは、低いROEやPBRの言い訳にしていないか』と、厳しく言われることがある」と話した。

柳氏の調査では、世界の過半数の投資家は、良いESGの価値を証明して説明すれば、日本企業のESGの価値をPBRに織り込みたいと答えているという。「ここに光がある。日本企業の潜在的なESGのポテンシャルはすごい。それが謙虚過ぎたり数値化されていないことで十分伝わっていないだけ」と柳氏は強調する。そして「私はESGの定量化が日本を救うと思っている。皆さん一緒に頑張りましょう」と会場に呼びかけた。

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