【韓国の個人旅行ガイド】韓国の古道を歩く旅、鳥嶺古道のスタート地点を目指してソウルから忠州の水安堡温泉へ

ソウルと忠州を結ぶバス。30分に1本ほど運行されていた 写真:金光英実

韓国の古道を歩くことにした。

韓国の道路網は、李氏朝鮮をつくった李成桂の時代に整備されたといわれる。1390年代の話だ。車のない時代である。歩くことを想定した道である。

道路網はソウルを中心につくられた。そのなかでも、ソウルと釜山を結ぶ道は幹線で、嶺南大路とよばれた。約377キロの距離があった。山を越えていく道で、日本の東海道のように平坦ではない。普通に歩いても2週間はかかったという。

この道のなかで、古道として整備されているのが鳥嶺古道だった。距離は7キロほど。第一関門から第三関門まであるという。

■韓国の古道を歩く旅、ソウルから高速バスで忠清北道の忠州へ

ソウルのセントラルバスターミナルから忠清北道の忠州行きの高速バスに乗った。通路を挟んで2席と1席という配置。韓国の高速バスはこれが基本だ。運賃は1万3200ウォンだった。日本円で約1500円ほど。

コロナ禍が明け、韓国の物価は一気にあがった。とくにホテル代は目を疑うような金額が提示される。明洞周辺では、以前、5000円ほどだったモーテル系の宿が3倍近くになっている。

しかし公共の交通機関の運賃は据え置かれている。これはありがたかった。

忠州には1時間半ほどで着いた。そこから路線バスで水安堡温泉に向かう。忠州の市街地を抜けると、バスはこんもりとした山の囲まれた谷に吸い込まれるように入っていく。谷に沿った平地には畑が広がり、そこにぽつんとバス停が立っている。そんな世界にだった。乗客の大半は老人だった。韓国も高齢化の波が打ち寄せている。

1時間20分ほどで水安堡温泉に着いた。

韓国と日本──。街のつくりや習慣などを比べていくと、思った以上に共通点がある。たとえば宿に入る。床暖房の部屋の間取り、机の配置、窓の位置……怖いぐらいに日本に似ている。学生時代の下宿の部屋を思い出し、妙にまったりした記憶もある。その感覚で韓国を歩くと、逆に思わぬほど違う世界に迷い込むこともある。そのひとつが温泉だと思う。

韓国人の知人も温泉が好きだというが、その温泉を訪ねると、日本人は、「これが温泉?」といった疑問符がいくつもついてしまうことがある。韓国は安定陸塊にある国で、半島側には活火山がない。韓国の唯一の活火山は済州島の漢拏山である。そんな自然環境も影響しているのだと思うが、韓国の温泉街には、日本の温泉の風情がまったくないことが多い。ビルや家が並ぶただの街に映る。

水安堡温泉もそうだった。バスをおり、街を少し歩いてみた。たしかにホテルは多いが、どう見ても温泉宿風ではない。飲食店はほかの街より多い気もするが、温泉風情が漂ってこない。

キジ料理が有名と聞いていたので、キジの置物が店頭にある店に入ってみた。しかしキジ料理はコース料理だけで、それも夜しかないという。そこでカルグクスを食べたが、それはソウルの食堂で食べるカルグクスと同じ感覚だった。温泉が伝わってこないのだ。韓国の温泉に行くと、なんとなく消化不良気味になってしまう。

水安堡温泉の食堂。名物のキジ料理を食べるなら、温泉のホテルに泊まったほうがいい 写真:金光英実

路線バスがあるのは水安堡温泉までだった。ここから先はタクシーしかない。道端で停まっていたタクシーに乗って15分。車は別荘地を抜け、林道の途中で停まった。ここまでだという。車をおりると、目の前にチェーンを張った車止めがあった。

古道歩きがはじまった。古道といっても、山のなかの登山路のような道とは違った。車が通行できほどの道幅がある舗装路だった。舗装といってもアスファルトではなく、土色の素材を固めたような道だった。ハイキングを意識しているようにも見えるが、整備された林道のようにも映る。途中にいくつかのベンチも置かれていた。

しかし傾斜はきつかった。山の斜面を一気に登っている感じだ。しだいに息も荒くなってくる。

その道を20分ほど登った。

前方に楼閣のような門が見えてきた。

© 株式会社双葉社