小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=3

「そうだ。……しかし、この素晴らしい景色を眺めたあと、また、あのすえた臭いの充満する陰気な船底の三等船室へ潜り込むのかと思うと、気が滅入る」
「ウラジオストックへ上陸し、露都モスコーを通ってロンドンへ――。長旅は思わぬ出費のかさむものだった」
「お蔭で、ロンドンからは三等船客の切符を買うのがやっとだった。皇国植民会社の水野社長は〝諸君はブラジルに着いたら外交官待遇でもてなされるのだ。諸君もキチンとしてくれなければいかん″と激励してくれたが、その外交官がこんなみじめな三等船客では恥かしい」
「この船にもリオに赴任する若いイギリス人外交官が乗っているが、彼は三等書記官なのに一等船客で優雅な船旅を楽しんでいる。今夜は陸のホテルにねるらしく手荷物を持たせて下船した」
「それにひきかえ我々は、真水のシャワーさえ三日に一度しか使えず、あとは塩水で体を拭くばかり」
「青雲の志に燃える我々には船の待遇など少しも意に介さぬが、日本の国威に傷がつくのではないかと心配だ」
「ぼくもそれが心痛の種なのだ。歓迎に応えようにもポーターに払うチップすらない」
五人は潮風に吹かれながら、再び悩ましそうに溜息をついた。
一人が叫んだ。
「おお、そうだ。サントス港に我々を出迎えてくれる鈴木貞次郎とかいう男に電報を打とう」
「なんと?」
「我々の窮状をうったえて、大袈裟な歓迎行事を一切中止してもらうよう至急奔走して貰うのだ」
「それがいい。それがいい」
若者たちは愁眉をひらいて、ゆっくりうなずき合いながら、ゾロゾロと狭い鉄の階段に消えていった。
ハイカラをつけて山高帽をかぶっていると、どうしても言動が鷹揚になるのである。

船はブラジル大陸を右手に眺見しながら一路南下した。
数日後にリオに至り、一晩走り、翌朝サントスに入港した。明治四十一年(一九〇八)五月三日のことである。
ところが歓迎式典どころか、……港には誰も迎えに来ていなかった。
「・・・?」
彼等はホテル・インターナショナルという名だけは立派な古ぼけた木賃宿の屋根裏に部屋をとり、サンパウロ移民収容所気付で鈴木貞次郎に電報を打った。

鈴木は翌日の午後やって来た。彼は屋根裏から次々にゾロゾロ出てくる、自分と同年輩くらいの黒っぽい背広に山高帽の若者たちを呆気にとられて眺めた。アラビアンナイトの登場人物を見ているような気分だった。

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