第1期BiS再結成ライブを宗像明将が目撃 解散から10年、メンバーと研究員の想いが交差した奇跡の一夜

「BiSらしいね笑 / 研究員はやっぱバカだなー / ありがと!」

これは、解散から10年を経て実現した第1期BiSの再結成ライブ『You’ve been cheated』終了後の渡辺淳之介のXへの投稿である。2014年7月8日に横浜アリーナで開催された解散ライブ『BiSなりの武道館』からちょうど10周年となる2024年7月8日、解散ライブを行ったプー・ルイ、ヒラノノゾミ、カミヤサキ、テンテンコ、ファーストサマーウイカ、コショージメグミ(古正寺恵巳)の6人全員によって、第1期BiSは一夜限りの再結成を果たした。その空間は、強烈な興奮、高揚感、馬鹿馬鹿しさに満ちており、すがすがしいほどだった。かつて第1期BiSを最初から最後まで追った身として、自分自身がどんな感情になるのか予想すらつかなかったのだが、ただただ楽しかったのだ。

2014年7月8日の解散の後、BiSは再結成をしていないわけでもない。解散ライブ翌日の2014年7月9日には「元BiS」として「元BiSなりのワンマンライブ」を下北沢シェルターで開催している。横浜アリーナの赤字補填だったというが、解散ライブの最後で「明日、元BiSとしてライブをする」と聞いたときは唖然としたものだ。2016年4月29日にBILLIE IDLE(R)が主催した日比谷野外音楽堂での『ANARCHY TOUR FINAL "IDLE is DEAD!?"』では、プー・ルイ、ヒラノノゾミ、カミヤサキ、テンテンコ、ファーストサマーウイカ、ミチバヤシリオという編成で「nerve」が披露されたが、このイベントに出演していたコショージメグミは「nerve」に参加していなかった。

かくして10年の歳月が流れた。

再結成ライブが実現した要因として、第1期BiSの最終メンバー全員が今も表舞台にいることは大きいだろう。プー・ルイはPIGGSのプロデューサ兼メンバー、ヒラノノゾミは音楽ユニット「おはなの」のメンバー、カミヤサキは振付師、テンテンコは電子音楽家、ファーストサマーウイカは俳優/アーティスト/タレント、コショージメグミこと古正寺恵巳は大森靖子プロデュースアイドル・MAPAのメンバーとして、それぞれ活躍中だ。さらに、「BiSをもう一度始める」という渡辺淳之介の宣言のもと、2015年に始動し、2023年に解散したBiSHの大ブレイクもあり、失われた第1期BiSへの注目度は非常に高い状態が続いてきた。

2024年7月1日に渡辺淳之介が6人のシルエットだけの画像をXに投稿したときは、再結成と見せてまったく知らない6人が登場する可能性すらあったが、2024年7月5日に第1期BiSの再結成が正式にアナウンスされた。場所は歌舞伎町シネシティ広場。いわゆる“トー横広場”、新宿BLAZE前広場である。

そして2024年7月8日を迎えた。無料ライブだが整理券の配布があり、TOWER RECORDS渋谷店で午前11時から整理券が配布されたが、その時間に行ってもすでに整理券は尽きていたという。徹夜組もいたといい、夜が明ける頃にようやく旧研究員(第1期BiSファンの総称)の動きが見えてくる状態だった。情報戦である。この日だけは、現在活動中の第3期BiSと、復活した第1期BiSが同時に存在する世界線となった。

かくして7月8日19時過ぎ、第1期BiSの再結成ライブがスタートした。前説に登場した渡辺淳之介いわく「祝解散10周年」。3000人が集まっていると述べ、誰ひとり欠けることなく活動していることにも言及した。

そして、第1期BiSがステージに登場した……と書くとあっさりしたものだが、10年間もステージ上に全員が揃ったことのない第1期BiSが登場したことに、不思議な感覚に襲われた。そして1曲目は「FiNAL DANCE」。2014年のラストシングル収録曲が、再結成ライブの1曲目を飾ったのだ。この楽曲には〈明日には忘れてる〉という歌詞があるのだが、いやいや、10年後も忘れていなかったではないか、メンバーも渡辺淳之介も研究員も。

MCでは、この6人による「新生アイドル研究会BiSです!」という挨拶を10年ぶりに聞いた。プー・ルイによると、1年前にコショージメグミと一緒にいたところ、偶然、渡辺淳之介から電話があり、10周年での再結成の打診があったという。

メンバーの自己紹介で研究員がリフトされるのは第1期BiSの伝統だが、コショージメグミの自己紹介の際にリフトされたのは大森靖子であり、それを見たコショージメグミに「大森靖子!」と言われていた。なお、コショージメグミの自己紹介で大森靖子が初めてリフトされたのは、2014年3月16日に宮城県女川町で開催された『女川町復幸祭2014』である。なぜ知っているかというと、私が大森靖子をリフトしたからだ。

2曲目は「Give me your love全部」。2011年のデビューアルバム『Brand-new idol Society』の1曲目であり、この楽曲のイントロを聴くと、旧研究員の脳は自動的に沸騰する仕様になっている。意外だったのは、3曲目の「Hide out cut」だ。2013年の楽曲であり、それまでの第1期BiSのさまざまな楽曲の振付が組み込まれている。10年ぶりに見る「Hide out cut」は、否応なしに感傷を運んできた。

4曲目は「PPCC」。2012年のメジャーデビュー曲だ。ここから研究員のサーフやリフトが激しくなり止まらなくなる。続く5曲目の「Fly」は2013年の楽曲で、ここでも激しいリフトが続く。しかし、音は止まらない。第1期BiSのルールに沿った英断である。

そんな光景を見て、ファーストサマーウイカは「生きて帰りましょうね」と研究員に呼びかけた。現在の活動を述べていくなかで、テンテンコが現在主催しているイベントが『ぽんぽこ山』だと聞いて、ファーストサマーウイカがここぞとばかりに「ふざけんじゃねえぞ!」とツッコミを入れるのも懐かしい光景だった。ファーストサマーウイカは、このイベントができたのはBiSHの財があってこそ、でもBiSHがあるのはBiSがあったから、BiSがあるのはプー・ルイがいたからだ、とも述べた。

そのファーストサマーウイカは、「生きて集まってくれて嬉しいです」と言った後、涙を見せまいとするかのように上を向いた。旧研究員は知っている。再結成前夜、彼女がXに投稿した「\コイヨ コイヨー /」というフレーズは、2022年に亡くなった旧研究員の言葉であることを。その旧研究員はこの日、顔をプリントされて空気人形に貼られ、元気に会場を飛び跳ねていた。2023年に亡くなった旧研究員の遺骨を、リフトされながら掲げた研究員もいた。この夜は、あの世とこの世がつながっている一夜でもあった。

6曲目は「primal.」。2011年の楽曲にして、第1期BiSの「エモい」と言われる楽曲の代表格だ。この楽曲では、サビでメンバーが両手を挙げて背中を向ける振付がある。それと同じように研究員も両手を挙げて振り返るので、その瞬間、私は3000人がこちら側に振り返るのを見た。圧巻である。

7曲目は「nerve」。これも2011年の『Brand-new idol Society』の収録曲だが、同年にはシングルカットされ、さらに2014年には「FiNAL DANCE」との両A面でシングルカットされるなど、まさにBiSの代表曲である。2010年代のアイドルソングの代表曲として挙げられることも多い。そんな楽曲のため、熱狂とともにリフトはさらに激化していく。

そして、メンバーが8曲目の「レリビ」の名を挙げようとしたとき、渡辺淳之介が「研究員舐めてたわ! これで終わりです!」とマイクでカットインした。私は会場内だけ見ていたのでわからなかったが、会場外にも人が集まりすぎ、予定されていた「レリビ」「primal.2」が披露される前に、安全確保のためにライブは終了となった。

こうした結末となったが、現在は第1期BiSメンバーの全員が歌っているわけではないのに、歌が良いことには驚いた。ダンスもカミヤサキが一から組み直し、プー・ルイが「一番練習した」というほどで、10年前に劣るところはなかった。

ライブ後には、第1期BiSはマスコミの囲み取材にも応じた。ファーストサマーウイカは、この日を一足早いお盆と述べ、青春の日々という言葉で過去の活動を形容した。そして彼女たちは、かつての研究員である私を見ると容赦なくいじってくる。これも10年ぶりの感覚であり、私の慢心を削いでくれた。

プー・ルイは、若くてBiSを好きと言えない時期もあった、とMCで振り返っていた。そして、BiSは私たちの原点だ、とも。それは、会場の内外を埋め尽くしていた研究員たちも同じ心境だったのではないか。たった一夜の再結成だったからこそ、それぞれが生きてきた10年の歳月を抱えてメンバーと研究員は、馬鹿馬鹿しくも激しく交歓し合った。封印していた10年前の記憶が、不意に脳の奥底から湧きあがり、それが煮えたぎるかのような経験だった。まさか素直に第1期BiSに「ありがとう」と思う日が来るとは、私自身も想像していなかったのだ。

(文=宗像明将)

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