河村勇輝の言う「自分勝手な夢」は、日本の夢だ──。NBA挑戦への準備と覚悟

NBA メンフィス・グリズリーズとエグジビット10契約を合意した河村勇輝の記者会見が、7月9日に横浜市内で行われた。

「間違いなく、僕がこれまでバスケットをやってきた中で、一番大きなチャレンジになると思います」

そう語る表情からは、強い覚悟が見て取れた。夢にまで見た、世界最高峰のNBAという舞台に一歩近付く大きな決断。河村は「トントン拍子でいくとは全く思っていないですし、大変な時期、自分がどうしたらいいのか分からない時期というのは必ず来ると思います。それを分かった上でチャレンジすると決意しました。言語や文化の壁、また自分の実力では全く歯が立たないということもあると思いますが、それでいい。それが僕にとって必ず力になって、今後のバスケットボールキャリアにとって必ず必要になるものだと僕は信じています」と、力強い言葉で語った。

準備しながら狙っていた海外挑戦のチャンス

ここ数年、海外挑戦への意欲をはっきりと口にしてきた。ただ、その思いは幼少期から一貫していたわけではない。幼い頃はNBA挑戦を夢見ていたものの、年齢が上がるにつれ「高校生くらいのときは海外レベルでバスケットをすることを恐れていたというか…自分の身の丈に合わないと思っていました」と明かす。

その意志を変える大きな転機となったのは、日本代表への選出だ。昨年2月の取材時、河村は「ワールドカップに出たい、オリンピックに出たいということは、イコール世界に通用する選手にならなければいけないということ。海外でプレーすることは自分を成長させる最高の機会だと思うので、チャンスがあればぜひ挑戦したいと考えるようになりました」と、心境の変化を語っていた。

そして「海外挑戦したい」とただ口に出すだけでなく、その準備をしながら“来たる時”を待ち続けていた。昨夏のワールドカップで世界を驚かすその少し前、日本代表にようやく定着してきた頃に、河村は海外挑戦への考えをこう話している。

「海外挑戦というのは、もちろん自分の実力も大事ですが、それだけでも実現しないと思うんです。タイミングとか運とか、いろいろな要素が関係していて、全部がすべて合わさらないと始まらないものなのかなと。ただ、そういう運とかタイミングが合わさるときって、突然転がってくるものだと思うので、そういうチャンスを逃さずつかめるように準備はしています」

世界に挑む“準備”として、世界基準を目指してスキルアップを図り、英会話にも意欲的に取り組んできた。そしてその後のワールドカップでの大活躍、同時に横浜ビー・コルセアーズでの奮闘は周知のとおり。河村が言うように、実力や運、タイミングなどすべてが合わさってチャレンジの扉が開こうとしている。今後はこれまでの準備を生かしながら、そして過酷な世界に揉まれさらに成長しながら、NBA本契約を目指していくことになる。

先駆者たちの挑戦が子どもたちの道しるべに

今回の会見では、横浜BCのクラブやブースターへの感謝を語るとともに、「自分としては、自分勝手な夢で横浜ビー・コルセアーズを去ることになり、ファンの皆さんにすごく申し訳ない気持ちもある」と口にしてた。ただ、河村の言う「自分勝手な夢」が、決して独りよがりのものではないことは言うまでもない。横浜BCの白井英介代表取締役兼GMは、こう述べる。

「アメリカでのプレー経験がない河村選手がオファーを受けたということは、BリーグがNBAをはじめ世界から注目されるリーグになったということ。また、NBAのスカウトがBリーグや日本代表の試合を、リクルーティングの対象として見るようになったことの証しですし、Bリーグでの活躍の先に、NBAの舞台が確かに存在していることの証しでもあると感じています。こういったことは、これからNBAを目指す日本の若い選手たちにとって、我々が想像する以上に非常に意義深いものです」

河村も、今回の決断は日本の子どもたちの未来も意識してのことだと言う。なぜなら自分自身、先駆者たちに背中を押してもらったからだ。

「あのサイズで挑戦された田臥勇太選手(宇都宮)や富樫勇樹選手(千葉J)の背中を見てきたことも、僕が挑戦したいと思えた一つのきっかけでした。僕もそれを紡いでいく一人として、頑張っていければと。このサイズでもNBAに挑戦してコートに立つことができるんだと証明して、一人でも多くの子どもたちにとって、バスケットを始めるきっかけや、バスケットを頑張る原動力になれればいいなと思います」

過去の田臥や富樫の勇気ある挑戦が河村を大きく後押ししたように、今度は河村の挑戦が未来の子どもたちの道しるべとなる。河村の「自分勝手な夢」は、日本のバスケットボール界にとって非常に大きな価値を持つに違いない。

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