『フェラーリ』は“カタルシスがない”レース映画 “挫折の1年”にこそ人間的魅力が光る

リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。週末から少し時間が経ってしまいましたが、元自動車メディアの花沢が、7月5日公開の『フェラーリ』をプッシュします。

『フェラーリ』

かつて自動車メディアにいた頃の思い出の一つに、「メディア4耐」がある。「メディア4耐(正式名称:メディア対抗ロードスター4時間耐久レース)」とは、年に1度、『CAR GRAPHIC』や『カーセンサー』など、主要な車メディアの“中の人”が集まって、筑波サーキットで行うカーレースだ。

クルマやレースにそこまで思い入れがない筆者でも、同僚が自社の名前を背負って1着を目指す姿にはそれなりに感動したし、いつもは関わりのないメディア同士が一堂に会するのも面白いイベントだった。

レースには人の心を熱くさせる力がある。『ラッシュ/プライドと友情』(2013年)や『フォードvsフェラーリ』(2019年)、最近なら『グランツーリスモ』(2023年)など、カーレースを描いた映画には傑作が多い。だが今回紹介するのは、史上最も“カタルシスがない”レース映画。マイケル・マン監督の最新作『フェラーリ』である。

レースを題材にした映画が面白いのは、技術者による“ものづくり”と、レーサーによる“スポ根”の側面を兼ね備えているからだ。マイケル・マンが製作総指揮を務めた前述の『フォードvsフェラーリ』も、アメリカのセールスマンと整備工のおじさんが手を組み、ヨーロッパの名門・フェラーリに立ち向かっていく『下町ロケット』的なアツさがあった。

翻って今回の『フェラーリ』では、そのフェラーリの創業者、エンツォ・フェラーリに視点が置かれている。エンツォの視線の先にあるのは、レースにおける「優勝」ただそれだけ。“ものづくり”も“スポ根”も、彼にとってはすべて勝利のための手段でしかない。

作中で舞台になる1957年は、エンツォが公私ともにうまくいかなかった“暗黒の1年”である。エンツォは1947年にフェラーリを創業。数々のレースで好成績を収めたが、一方で市販車の売上が芳しくなく、経営困難に陥っていた。またプライベートでも、前年の1956年に長男を病気で亡くしており、妻との関係も悪化。愛人との間に生まれた子供を認知するか否かという気まずい問題も抱えていた。

そして、カーレースの歴史に詳しい人なら「1957年」「フェラーリ」という文字の並びに、ピンとくる方もいるのではないだろうか。そう、この映画は、『この世界の片隅に』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のように、歴史上の“ある悲劇”に向かって突き進んでいくストーリーでもあるのだ。

筆者はその出来事を知らずに本作を観たため、後半の展開に大きなショックを受けた。1957年のミッレミリアで、フェラーリのドライバーであったアルフォンソ・デ・ポルターゴは、レース中にタイヤがパンクし、側道で応援していた9人の観客を巻き込む大事故を起こす。最終的にフェラーリはこのレースで優勝するが、デ・ポルターゴを含む10人の死体を見せられた後では、優勝を祝うセレモニーも何もかもが苦々しく見える。

『風立ちぬ』で航空技術者のカプローニは、零戦の設計者・堀越二郎に「飛行機は美しくも呪われた夢だ」と語った。現在よりも安全への意識が低く、柵のない公道を走るのが当たり前だった1950年代のカーレースは、まさしく“呪われた夢”である。「本当に機能的なものは美しいんだ」と設計図に向き合うエンツォには、堀越と同じくピュアな技術者の一面も見えるが、決定的に異なるのは彼が経営者でもあるという点だ。

エンツォは勝利を追い求めた結果、車体だけでなく、レーサーたちにも“機能的”であることを求めた。コーナーに入る直前にアクセルを緩めたレーサーには「死を覚悟して運転しろ」と怒鳴りつけ、レース中もピットに入ったレーサー1人1人に煽るような言葉を投げかける。そこまで彼が勝利に固執した原因は、愛する息子の死にあった。エンツォは仕事に没頭することで、未だ癒えぬ心の傷から目を逸らそうとしたのである。

だが結果的に、エンツォはさらなる悲劇と向き合わざるを得なくなった。勝利を目の前にした彼は、タイヤの摩耗を見逃し、1位になろうと焦るデ・ポルターゴの危険な兆候にも見て見ぬふりをした。

哲学者の國分功一郎は、著書『目的への抵抗』の中で「目的達成のために最適化された瞬間、人は人間らしさを失ってしまう」と批判している。

輝かしい瞬間なんていくらでもあるフェラーリ社の歴史のなかで、この1957年を取り上げたマイケル・マンの判断は非常に興味深い。優勝という栄光の影にある、人生最大の挫折にこそエンツォ・フェラーリの人間的な魅力があるのだ。
(文=花沢香里奈)

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