能登を支え、能登で生きる 広島のお好み焼き店主が移住

21年続けた店の前でこれまでの活動を振り返る佐渡さん(6月20日)

 これからは能登を支えて、能登で生きる―。広島市西区でお好み焼き店を営む佐渡(さど)忠和さん(72)が6月下旬、地震の爪痕が残る石川県輪島市に移り住んだ。2018年の西日本豪雨をはじめ災害が起こるたび、ボランティアとして各地に出向いてきた。輪島市に購入した空き家を、地域と全国のボランティアをつなぐ拠点にするつもりだ。

 元日に能登半島を襲った地震と津波。今回も迷いはなかった。翌1月2日、寝袋やブルーシートなどの資材を車に積み、輪島市まで約800キロ走った。

 佐渡さんを突き動かすのは「誰かが行かなくては」との思いだ。被災地支援を始めたのは11年の東日本大震災がきっかけだった。津波で町が流され、避難所に多くの人が身を寄せる様子をニュースなどで見て、自然と足は向いた。

 本業は度々「店主の都合により臨時休業」。被災地に着くと温かい食事で元気になってもらおうと、鉄板でお好み焼きを振る舞ってきた。「子どもたちから『ありがとう』の手紙をもらってね」と目を細める。一度にとどまらず、そっと訪れ復興を見守る。そんな被災地がいくつもある。能登でも定期的な炊き出しと、家財の運び出しなどの支援を続けてきた。

 その姿勢は地元広島の被災地も同じだ。西日本豪雨では、坂町小屋浦に通い続ける。土砂のかき出しや庭木の剪定(せんてい)、保育園の餅つき…。支援や関わり方は次第に変化する。それも「関心を持ち続けている」というメッセージなのだという。

 能登までの長時間移動は体にこたえる。お好み焼き店も21年目になり、店じまいも頭をよぎり始めていた。このまま能登の復興を見届けたいと移住を決断した。「支援は足りておらず、宿泊先もない。ボランティアをしたいという同志の力になれれば」と話す。

 広島とも縁が切れるわけではない。6日の西日本豪雨の追悼行事には参加し、今後も節目には戻るつもりでいる。「住む所は変わっても、自分なりの支援を続けていく」

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