『大いなる不在』近浦啓監督 初期作は全てにおいて責任を持ちたかった【Director’s Interview Vol.421】

初監督作『コンプリシティ/優しい共犯』(18)に続き、長編監督2作目の本作でも世界の映画祭で多くの賞を受賞した近浦啓監督。トロント国際映画祭プラットフォーム・コンペティション部門にてワールドプレミアを飾り、サン・セバスティアン国際映画祭のコンペティション部門オフィシャルセレクションに選出。日本人初となる最優秀俳優賞を藤竜也が受賞するという快挙を成し遂げ、サン・セバスティアンの文化財団が最も卓越した作品に与えるアテネオ・ギプスコアノ賞も受賞。サンフランシスコ国際映画祭では最高賞にあたるグローバル・ビジョンアワードを受賞している。

本作では、脚本・編集・プロデューサーも兼任した近浦監督。自身が主催する制作会社で、出資から制作までも担当している。前作同様このスタイルで挑んだ近浦監督は、いかにして本作『大いなる不在』を作り上げたのか。話を伺った。

『大いなる不在』あらすじ

小さいころに自分と母を捨てた父(藤竜也)が、警察に捕まった。連絡を受けた卓(森山未來)が、妻の夕希(真木よう子)と共に久々に九州の父の元を訪ねると、父は認知症で別人のようであり、父が再婚した義母(原日出子)は行方不明になっていた。卓は、父と義母の生活を調べ始めるが――。

“不在”を描くことで見えてくる“存在”


Q:別れた父と息子、駆け落ちした夫婦、そして認知症と、物語の着想はどこにあったのでしょうか。

近浦:前作『コンプリシティ/優しい共犯』が劇場公開された2020年1月頃、本作『大いなる不在』とは別の映画の脚本がすでに完成していて、北海道で撮影しようと準備をすすめていました。その直後の4月にパンデミックが起こるわけですが、同時にまさにその4月に僕の父親が急に認知症になりました。世界はパンデミックで変容し、いつもの日常からかけ離れていた時期に、地元である北九州の警察署から「父親を保護しました」という電話がかかってきた。頭がグラグラするような感じがしましたね。当時は自粛期間の真っ最中でしたが、東京から北九州まで、車両に誰も乗っていない新幹線で片道6時間かけて通うことになりました。

『大いなる不在』©2023クレイテプス

そうやって、社会が変わり自分のプライベートな状況も変わって行く中で、もともと撮ろうとしていた作品に対する臨場感が下がってくるのを感じました。映画を作るには、企画から完成まで3年くらいかかるものなので、可能な限り今この瞬間に共鳴する物語を作りたい。当時はその作品ではないなと感じ、新しい物語を作りたいと思うようになりました。そのときに浮かび上がってきたのが、“不在”という言葉でした。街には人がおらず、マスクで表情が消え、対面で人と会うこともない。そういった中で、この“不在の輪郭”を描くことによって、逆に“存在”が見えてくるのではないか。そこから物語を紡いでいきました。この物語は完全なフィクションですが、着想のきっかけはパンデミックと父親の急な認知症、この二つでした。

森山未來の言語化する能力


Q:森山未來さん演じる卓の職業を、俳優に設定した理由を教えてください。

近浦:これは不思議なのですが、最初に思いついた時点で俳優でした。卓が演劇をしている様子が頭にポンと浮かんだんです。そして、当初から森山さんをイメージしていて、「森山未來と藤竜也を同じフレームに入れるんだ」と、その思いで脚本を形にしていきました。

Q:なぜ森山さんだったのでしょうか。

近浦:2012年に森山さん主演の舞台、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を観に行ったのがきっかけです。僕は大小問わず演劇を観に行くことが多く、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」はもともとはオフ・ブロードウェイで上演されていたそうですが、それは未見でしたが、2000年代初期に映画化された作品が大好きでした。それで観に行ったのですが、主人公のヘドウィグを演じた森山未來が本当に圧倒的で、強い衝撃を受けました。「いつかこの人と映画を作りたい」と思いました。

『大いなる不在』©2023クレイテプス

Q:実際に森山さんとお仕事をされていかがでしたか。

近浦:思っていた人物像と一致している面もあれば、全く想像してなかった面もありました。自分が想像していた通り、森山さんはすごく野性的な人間だったのですが、逆に同じくらいすごく知的な人間でもありました。物事を抽象化して言語化する能力がとても高い。僕と森山さんで、撮影前に長時間ディスカッションを行いましたが、彼が抱いてる違和感や疑問、あるいは提案といったものをちゃんと言語化してこちらに伝えてくる。映画祭で海外の役者の方と話をする機会があるのですが、森山さんとの会話はその感覚に似ていました。ヨーロッパでは、役者はアカデミズムの中で非常に高度な教育を受けていることが多いそうで、言語化して物事に明確な輪郭を与えることに非常に長けています。森山さんはそれと同じような感じがしました。これほどすごい役者だったのかと驚きましたね。

ビジネス面とクリエイティブ面で分離・対立したディスカッションの場合は、どこかで妥協点を見出す必要があるかもしれませんが、森山さんと僕の議論は、「この物語を遠くの世界まで届けたい」「世界を深く掘り下げたい」という一致した思いがありました。そこは弁証法的にとても良い効果を生みましたね。また、森山さんは役者として演じるキャラクターの話だけではなく、映画全体を俯瞰で捉えた話をされていたのが印象的でした。

高校生からの憧れ、藤竜也


Q:藤竜也さんとは三度目の映画製作ですが、藤さんとのお仕事にこだわる理由を教えてください。

近浦:僕が「映画を作りたい」と思い始めたのは高校生の頃ですが、同時に「この役者と仕事をしたい」と思ったのが藤竜也さんでした。彼は日本において“映画俳優”というものを体現し、歴史を築いてきた役者です。そして世界でも認知されている。『愛のコリーダ』(76)に出演する際は、仕事を干される覚悟だったそうです。そうやって、素晴らしい作品に犠牲を払いつつも出演してきた。仮に自分が役者だったとして同じ決断が出来るだろうかと。

この『大いなる不在』はアメリカでも劇場公開されることになっていて、7月19日からニューヨーク(以下、NY)で上映が始まります。それを知ったNYのとある映画館から連絡が来て、「藤竜也の映画がNYで上映されるのであれば、うちで『愛のコリーダ』を特別上映するので、藤竜也にぜひ来て欲しい」と打診があったそうです。マンハッタンの劇場が、1970年代の映画を上映して、そこに藤竜也を呼びたいと思うほど、彼は歴史に刻まれるような役者なのだと思います。

『大いなる不在』©2023クレイテプス

僕の映画も、そういった彼の歴史の一部になりたいと思っています。おこがましいですが、最初に短篇映画を撮り始めた時からいつかは藤さんの代表作と呼べるものを撮りたいと思ってきました。その意味では、サン・セバスティアン国際映画祭というヨーロッパの由緒ある映画祭のメインコンペティションで、藤さんは71年の歴史で日本人初の最優秀俳優賞を本作の演技で獲得しました。「あのTATSUYA FUJIだ」とサン・セバスティアンの方々もすごく感激していました。授賞式では僕も達成感を感じて本当に嬉しかったです。

「藤竜也が役者でいる限りは僕の映画に出てもらいたい」と思っていますので、1本でも多く一緒に作りたいですね。僕の方からも藤さんに良い刺激を与えられると良いなと思います。

Q:藤竜也さんと仕事をしたいと思った作品は何だったのでしょうか。

近浦:まさに『愛のコリーダ』です。70年代の混沌とした時代に大島渚監督が放った作品たち、金字塔となる『愛のコリーダ』や『愛の亡霊』(78)などには非常に感銘を受けました。

撮影監督:山崎裕との関係


Q:前作に続き撮影は山崎裕さんです。山崎さんとのお仕事はいかがですか。

近浦:いつも楽しくやっています。前作『コンプリシティ/優しい共犯』では、物語上、ある人物をカメラがずっと追いかける構成になっていて、山崎さんの出自でもあるドキュメンタリースタイルをそのまま発揮してもらいました。キーとなる構図はいくつか要望を出しましたが、物語を汲み取ってもらい役者の演技を見てもらった上で、あとは彼の反射神経に賭けていました。例えば、藤竜也さん演じる主人公がルー・ユーライ演じる中国人の若者を逃そうとするシーンがあるのですが、藤さんがルーの背中をグッと押すんです。最初カメラは表情を捉えているのですが、押している藤さんの二の腕の筋肉に力が入っているところに手持ちのカメラが下りてくる。山崎さんはそういうことがパッと出来るカメラマンで、それだけの反射神経を今もまだ持っていますね。

今回に関しては、俯瞰した神の目線での画作りが必要だったので、コラボレーションのあり方は1作目とはだいぶ変わりました。僕の方から構図について様々なリクエストを出し、ディスカッションしながら進めていきました。特にこだわったのは、背景と前景の距離感を無くすということ。例えば、卓が立っていて、その向こうに海が見えるシーン。引きの画にして広角レンズで撮ることが多いと思いますが、そうすると海との遠近感がものすごく出る。逆にものすごい望遠レンズで狙うと、人物と背景の海が合体して2次元になるかのように遠近感が圧縮されます。主人公が迷路に閉じ込められているような、そういう世界観を狙いました。そのようなある種の不自然な画は、山崎さんはいままであまり撮ることはないタイプのものだったと思いますが、今作では山崎さんのフィルモグラフィを拡張したいという思いもあり、お互いに話しながら撮影していきました。今回の作品では、山崎さんが手がけた数々の名作とはまた違う一面が見られると思います。

『大いなる不在』©2023クレイテプス

Q:これまでの山崎さんのスタイルと違う撮影手法を取ることに対して、議論はなかったのでしょうか。

近浦:僕から言うのもなんですが、ものすごく器の大きい人です。前作の撮影以降、山崎さんとは半年に1回ぐらいプライベートで食事をするんです。「あの映画見た、この映画見た」と話を酌み交わす。年齢は違いますし彼は色んな意味で大先輩ですが、まるで親しい友人のような感覚です。ですから現場で、山崎さんに「そっちからではなく、こっちから撮りたいんです」「そのカットは使わないから、撮らなくて大丈夫です」などと言っても、いいディスカッションになる。僕の要望を受けてそれを山崎さんの中で咀嚼してさらに良い形で実現してくれます。

彼はとても野性的な人間ですが、同時にものすごく頭の回転が速いです。僕が「こういう画が撮りたいから、ここに行きたい」と言うと、その思いや意図を瞬時に汲み取ってくれます。そこからプラスアルファの提案までしてくる。これほど楽しいコラボレーションはないですね。

IMAX本社で社長と面談、フィルムへの思い


Q:今回は35ミリフィルムでの撮影ですが、なぜフィルムにこだわったのでしょうか。

近浦:「フィルムっぽい画が欲しかったの?」とよく聞かれるのですが、それだけではありません。今はデジタル撮影で何でも出来ますし、ダイナミックレンジもデジタルの最新シネマカメラの方が広いです。画質も綺麗なので、そこから荒らすことだって出来る。つまり、もう何でも出来るところまできていると思います。“ルック”にこだわりたいだけであれば、デジタルで撮っても目的はそれなりの程度達成できると思います。

僕にとってのもっと大きな理由は、レンズに光を通してフィルムに焼き付けるという技術そのものへの憧れです。そして、この技術がなくならないで欲しいという願いもあります。僕自身はプロデューサーでもありますので、無謀なチャレンジだとは理解しつつも、この未熟な監督の願いを叶えてあげようという思いでフィルム撮影を「許可」しました。

ハリウッドでは、IMAX70mmというとてつもないフィルムで撮られている。70mmのフィルムを縦方向ではなく横方向に送り画角を確保するので、一コマの大きさがものすごいサイズです。IMAX社の歴史は60年代後半からですので、とても古いのですが、それが最先端の映画の現場で新しく技術革新をしながら進化していることにとても興味を惹かれます。昨年、トロント国際映画祭に招待されたときに、同じくトロントにあるIMAX本社の見学と面会をさせてもらいました。トロントに行く前にIMAXに何通もしつこくメールを送っていたら、社長から返信があり実現しました。こうした経験も、今の僕の映画製作の地続きにあります。フィルムでの撮影はまだまだやっていきたいですね。

Q:プロデューサーをご自身でやらないと、日本映画でのフィルム撮影は相当難しいですよね。

近浦:おっしゃるとおり難しいですし、仕方ないことかなと思います。こればかりはもう、資本の論理ですから、費用対効果の観点のみからだとその選択はされづらいものがあると思います。

『大いなる不在』©2023クレイテプス

Q:監督の出身地である北九州が舞台となっていて、実際の撮影も北九州で行われたそうですが、その理由を教えてください。

近浦:理由は二つあります。一つは、北九州市のフィルム・コミッションは映画製作に対して大変手厚くサポートされているという理由です。撮影するにあたり、ロケ場所を借りたり、撮影許可を取ったりすることは時間も手間もすごく掛かるのですが、そこを行政に関連する団体が手助けしてくれることによって、とてもスムーズになる。北九州市は映画製作の支援にあたり、観光誘致の側面だけではなく、「私たちが住んでいる自治体は、このように映画文化を支援している」ということから得られるシビック・プライドの醸成も視野に入れていると聞きました。フィルム・コミッションや市の職員の方々の高い志にとても共感しました。

そしてもう1つの理由は、地形です。住宅街のすぐ近くに山が見えて、カメラの向きを少し変えると海まで見える。そしてその海には工場地帯がある。そういったところは意外と少ないです。神戸などは近いかもしれませんが、僕が望んでいた、高低差、海、山、住宅街の組合せとは少し違っていました。北九州市で撮ることが出来てとても良かったです。

初期作は全てにおいて責任を持ちたかった


Q:近浦さんは、監督だけではなく、企画プロデュース、出資、脚本、編集と、映画作りにおいてご自身で何役もこなされていますが、なぜこのスタイルなのでしょうか。映画制作はどのように学ばれたのでしょうか。

近浦:映画監督における1作目と2作目は、新人と言われる部類で、映画作家としての歩みの原点になるもの。自分らしく筋の通ったものを作りたかった。映画製作は規模が大きくなればなるほど、自分で出資することは現実的に難しくなります。ですが、1作目と2作目だけは、分相応の規模で監督だけではなく、脚本から編集、資金調達まで全部自分でやろうと。そうすれば、良い作品になっても悪い作品になっても全て自分の責任ですので、悔いを残さず作ることが出来る。そこの理由が最も大きいですね。

仮にこの作品の脚本を映画会社やプロデューサーに持っていって、「35ミリフィルムで撮りたいです」と言っても、まず無理だったと思います。『コンプリシティ/優しい共犯』のときも同じでした。だから自分でやろうと思いました。経済面・興行収入面でも良い結果を出すことは、まさにこれからですが、作品としては誇りに思える大切なものができましたので、こうしてやってきて良かったと思います。

『大いなる不在』©2023クレイテプス

映画制作の学びについては独学です。大学の時に、ドグマ95のムーブメントに触発されて友人と一緒に小さな映画を撮ってみましたが、いざ撮ってみたら自分が嫌悪するような画ばかりが撮れてしまい、全く映画になっておらずショックが大きかったです。それで、観ることと撮ることの違いを痛感し、具体的に勉強し始めました。当時創業してまもないアメリカのAmazonを使って、自分が好きな映画のDVDを輸入して、1ショットずつ画コンテとして書き起こすことと、シーンごとに1行ずつノートに要約を書き出すことをひたすら続けました。それが自分の画作りや物語作りの基礎になっていると思います。今でも、自分なりの文体を模索中です。

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監督/脚本/編集/製作:近浦啓

2018年、『コンプリシティ/優しい共犯』で長編映画監督としてデビュー。第43回トロント国際映画祭でのワールドプレミアを皮切りに、第23回釜山国際映画祭、第69回ベルリン国際映画祭など、多くの国際映画祭に選出され、日本では第19回東京フィルメックスで観客賞を受賞。2020年に全国劇場公開された。2023年、長編第2作『大いなる不在(英題:GREAT ABSENCE)』が完成し、第48回トロント国際映画祭、第71回サン・セバスティアン国際映画祭、共にコンペティション部門にノミネートされる。サン・セバスティアン国際映画祭では、最優秀俳優賞(藤竜也)、アテネオ・ギプスコアノ賞のダブル受賞を果たす。翌年2024年、USプレミア上映の第67回サンフランシスコ国際映画祭では、長編実写映画コンペティションの最高賞であるグローバル・ビジョンアワードを受賞。

取材・文:香田史生

CINEMOREの編集部員兼ライター。映画のめざめは『グーニーズ』と『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』。最近のお気に入りは、黒澤明や小津安二郎など4Kデジタルリマスターのクラシック作品。

撮影:青木一成

『大いなる不在』

7月12日(金)テアトル新宿、TOHOシネマズ シャンテ他にて全国順次公開

配給:ギャガ

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