両サイドとセントラルMFに対応可能な変幻自在の仕掛け人。努力家で真面目な三戸舜介は「代表でやれることが増えてきた」と成長を実感【パリ五輪の選ばれし18人】

パリ五輪開幕まで約2週間となった。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介。今回はMF三戸舜介(スパルタ)だ。

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キレのあるドリブルと高い戦術理解度は群を抜く。163センチだが、体幹が強く、最後まで走り切れるタフさもある。JFAアカデミー福島U-15とU-18で育った三戸舜介は、ジュニアユース年代から将来を嘱望されてきた。

だが、持てる技術を存分に発揮できる土台がなかったのも事実。JFAアカデミー福島U-15やU-17日本代表でコーチとして三戸に携わった廣山望氏(現・U-16日本代表監督)は、当時の印象をこう話していた。

「当時の三戸選手はまだまだ攻撃の武器も際立っていなかったので、最終的にどんな選手になるのかなと思っていました」

国内で戦えても、国際試合では思うようにいかない。オフ・ザ・ボールの動きをアレンジしても潰され、良さを出す場面は限定的。決定力も決して高いほうとは言えず、シュートを外した際に「うわー!」と叫ぶシーンが何度も見られた。

だが、武器である俊敏性をさらに高めるのはもちろん、個人戦術を徹底的に磨いて、より自分が生きる局面を作るための工夫を重ねた。その努力が実ったのが、2019年11月に開催されたU-17ワールドカップだった。

森山佳郎監督(現・仙台監督)から4-4-2の左サイドハーフを任さると、チャンスメーカーとしての役割を全う。ユーティリティ性も披露し、ラウンド16のメキシコ戦(0-2)では2点のビハインドを背負っていた終盤に右SBに配置転換され、即興ながらもアグレッシブなプレーで可能性を示した。

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努力家で真面目。そのスタンスはプロの世界に入ってからも変わらない。2021年にJFAアカデミー福島U-18からアルビレックス新潟に加入すると、1年目はJ2で25試合に出場して2ゴールをマーク。出場機会を掴んで自信を深めると、2年目も24試合で6ゴールの活躍でチームのJ1昇格に大きく貢献した。

満を持して自身初のJ1で戦った昨季は、不動のレギュラーとして躍動。サイドハーフだけでなく、トップ下で攻撃のタクトをふり、31試合・4ゴールという成績でベストヤングプレーヤー賞を受賞した。

「そこからは本人の努力。突破力やシュートを磨いて武器にし、今の場所にたどり着いた」と先述の廣山監督が認めたように、真摯にサッカーと向き合う姿勢があったからこその充実ぶりだ。その積み重ねはクラブに留まらず、パリ五輪を目ざす大岩ジャパンでの飛躍にも繋がった。

22年3月のチーム発足当初は絶対的な存在ではなかったが、23年に入ってから台頭。両ウイングやインサイドハーフにも対応できるタレントとして重宝された。

そして、迎えた同年9月のU-23アジアカップ予選。パリ五輪のアジア1次予選に相当する戦いで、三戸は圧巻のパフォーマンスを見せる。海外組が時差ボケや酷暑の影響でコンディションを落とすなか、インサイドハーフで持ち前の機動力とテクニックを発揮。攻撃をリードする存在として評価を高め、10月のアメリカ遠征、11月のアルゼンチン戦(5-2)でも幅広い役割をこなして違いを作った。

本人も手応えは十分。「全然満足していない。だけど、代表でやれることがだんだん増えてきたので成長を感じる」と自信を深め、24年1月には自身初の海外移籍を決断。同じパリ五輪世代のMF斉藤光毅が所属するスパルタ・ロッテルダムに加わり、シーズン後半戦からの合流ながら、オランダリーグ1部で18試合・2得点と期待に応えた。

4月中旬から5月初旬に行なわれたパリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップは、インターナショナルマッチウィーク外の開催で不参加となったが、6月のアメリカ遠征で代表に復帰。11日に公開されたアメリカ戦では右ウイングで先発し、後半途中からインサイドハーフに回ってゴールにも絡んだ。

パリ五輪の本大会では18人という限られた人数で中2日の連戦を戦うため、三戸のような複数のポジションをハイレベルでこなす人材は貴重。不断の努力でステップアップしてきた男は、パリでさらなる高みを目ざす。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)

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