パリでメダル目指す石川祐希選手と西田有志選手 男子バレーボール2大エースのルーツは東海地方

開幕まであと15日に迫ったパリオリンピックで、52年ぶりのメダル獲得を目指すバレーボール男子日本代表。チームを引っ張る、東海地方出身の石川祐希選手と西田有志選手のルーツに迫ります。

8日に開かれたバレーボール日本代表の壮行会。 「パリオリンピックはメダルを取るために行くので、メダルを絶対に持って帰る」と力強く宣言したのは、愛知県岡崎市出身でキャプテンの石川祐希選手(28)です。 たぐいまれなバレーボールセンスを持つ絶対的エース。東京オリンピックでは、チームを29年ぶりのベスト8に導きました。

史上初の「高校6冠」を達成

そんな石川選手の原点は…。 「自分たちでどう目標に向かっていくかと、その中で楽しみながらバレーをやることを、星城高校で学んだ」(石川選手) 愛知県豊明市にある母校・星城高校。今から10年前、石川選手がキャプテンとして率いたチームは、高校3大大会であるインターハイ、国体、春高をなんと2年連続で制覇。史上初の6冠を達成し、伝説となりました。 見守ってきたのが、恩師の竹内裕幸監督です。 「24時間バレーボールを、高校生の頃から考えていた。日本代表を引っ張る選手になるとイメージしていたけど、僕の想像を超えるぐらいリーダーシップを発揮している」(竹内監督)

高校時代の仲間「少年のようなところが彼の素」

いじられキャラな一面もあった高校時代。現在、星城高校のコーチを務める、当時のチームメイト中根聡太さんは…。 「(普段は)先生に怒られている様子もなく、褒められる様子もなく、気配を消していたような。負けず嫌いで子どもらしいところ、少年っぽいところが彼の素だなって」(中根コーチ) 大人になっても素顔は昔と変わりません。現在は、世界最高峰リーグ・イタリアのセリエAで活躍する石川選手。高校時代に描いていた未来は、今と全く違うものだったといいます。 「(高校時代は)海外に出ることは全くイメージしていなかったし、日本国内の企業に社員として入ってバレーボールをやれたらいいなと」(石川選手)

1972年以来のメダル「絶対に取る」

つい先日まで行われていた国際大会で、世界ナンバーワンの称号を手に入れるなど、前人未踏の道を切り開いてきた28歳。 日本男子16年ぶりの自力出場となるパリオリンピックで、1972年以来のメダルを目指します。 「活躍する姿やメダルをとる姿を見てもらいたいし、僕自身もメダルを絶対に取ると思っているので、そういった姿を見て楽しんでもらえたら」(石川選手)

小学生時代に学んだ「あせるな、くさるな、あきらめるな」

三重県いなべ市の少年バレーボールチーム「大安ビートル」。このチームから巣立ったのが…。 「すごい力で打って全部決めるのがすごい。憧れの選手は西田選手」(小学生) 日本が誇るサウスポーエース、西田有志選手(24)。 異次元のジャンプ力とパワーを武器に、エースポジションとして活躍しています。 「気持ちで負けたら終わるとずっと言われていたので。大安ビートルの影響が一番大きいですかね」(西田選手) 時間があるときは必ず訪れるという、西田選手の原点。 「生まれ故郷。生まれた時からいますもん、親に連れられて」(西田選手) 小学生の時にこのチームで学んだ教訓が「あせるな、くさるな、あきらめるな」という教訓です。 「小学生のころは、わかってるわ、絶対できるしと自信過剰になっていた。やったことがないことにトライして失敗して諦めるのではなくて、もう一回もう一回とトライしていくことの大切さがプロの世界に入ってから分かった」(西田選手)

驚異の350センチのジャンプ力

もう一つのルーツが…。西田選手の両親です。 「負けん気はあるよね」(父の徳美さん) 「小中高と、バレーボール関係者に『その身長では無理』と言われ続けた。悔しいなら『跳べ!』とよく言っていた」(母の美保さん) 身長はバレーボール選手としては低い186センチ。悔しさをばねにジャンプ力を磨き、現在の最高到達点は驚異の350センチ。世界と渡り合える選手に成長しました。

両親も「パリに絶対行く」

そんな息子を応援するため、全国各地を駆け回る両親。 東京オリンピックは無観客開催のため、自宅で応援せざるをえませんでした。 「今回のオリンピックは?」(記者) 「行きます!東京があんな風だったので絶対に行く」(母) 「その場を楽しんでほしい」(父) 「有志ワールドを作ってもらわんと」(母) 原点から世界の頂点へ。二度目の大舞台で活躍を誓います。 「笑顔でみんなに金メダルを見せられるようにがんばります」(西田選手)

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