「給食を見つめて涙」授業もせずに食べさせられ 野球部合宿で “会食恐怖症”…“完食” 強いられた苦痛の日々【給食が怖い #2】

富山市の40代の女性は、小学1年の頃から給食の時間がどうしても好きになれず、給食を見つめながら涙があふれたと語りました。残さず食べさせる“完食指導”がもとで「会食恐怖症」になった男性は、同じ悩みを抱える人の支援活動を続けています。学校給食は、栄養バランスのいい食事で子どもたちの健康の維持・増進を図ることなどを目的に実施されていました。しかし残さず食べさせる指導が、子どもによっては後々「会食恐怖症」になる影響を及ぼしていたのです。

1990年代、学校現場では給食は残さず食べるという『完食指導』が行われていました。富山市に住む40代の女性が通っていた小学校でも、完食指導が徹底されていました。クラスには給食後の昼休みが終わっても、完食できずに5限目の授業中にも食事をしている児童が数人いました。

40代女性も、その一人だったといいます。

40代女性「私たちの学校は給食の食べ残しが許されなかったので、完食するまでずっと食べさせられていました。授業もせずに食べさせられていて、本当に辛かったです」

その後、給食のない中学校、高校へと進んだものの他の生徒や教諭の目が気になり、食事を楽しむことができなかったといいます。

40代女性「栄養バランスを考えて作られているのはわかっているのですが、好きな食べ物でも苦手な味付けのせいでなかなか食べられませんでした。給食を見つめながら涙があふれ出ていたことは、何十年も経った今でもおぼえています。給食の時間が苦痛だったせいなのかはわかりませんが、給食がなくなった中学、高校生活も食事の時間になると、なぜか緊張したり不安になったりしてました」

学校給食で受けた苦痛が、その後の人生に影響を及ぼすケースもあります。

「親に心配かけたくない…」誰にも打ち明けられない孤独感

給食に苦しむ子どもたちへの理解を深めようと、教育者向けに給食指導の資料を無料で提供している『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』。

2020年に行った調査によりますと「他人と食事をするのにかなり苦手意識がある」と答えた人が1000人中121人、1学級につき4人に及ぶ結果となりました。

『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』の編集長、山口健太さん(30)も、小学校の時は完食指導が行われていました。小食だった山口さんは “給食の時間” が「怖い」と感じていました。

『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』編集長 山口健太さん「当時、居残りで食べさせるみたいな指導がうちの小学校はあったので…。食べられなくて、お昼休みまで食べなきゃないとか、給食室に、自分で戻しに行かなきゃいけないとか、そういう経験もしました。家の冷蔵庫に献立表が張ってあって、これだったら食べられるかどうか…みたいな見方でした。なぜ自分だけ、みんなと普通にご飯を食べることができないんだろうと悩んでいましたが、親に心配をかけたくないと、誰にも打ち明けることなく、孤独を感じていましたね」

辛いのは、周りの大人に理解されないこと…

孤独で恐怖な時間を何とかやり過ごし、山口さんは高校生になって野球部に入ります。しかし、そこで再び “恐怖の時間” が待ち受けていました。それは野球部の合宿中のことでした。

『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』編集長 山口健太さん「白米の量を朝に2合食べて、お昼に2合食べて、夜に3合を食べなさいっていうノルマがあって、食べられなかったんですよ。そうしたら指導者に「お前なんで食べられなかったんだ」と、みんなの前で怒られて、それがあってから、また今回も食べられなかったらどうしようと不安が強くなって、ご飯一口、頑張って食べるんですけど、それがずっと、口に残っちゃう。喉を通っていかないんですよね。嚥下障害みたいな感じになってしまって…」

このときから山口さんは、人と食事をする際、食べなければいけないという“プレッシャー”を感じるようになりました。食事への不安は、部活動の時のみならず、友人との食事にも影響が…。

一人だと普通に食べられますが、誰かがいると喉を通らなくなるだけでなく、吐き気やめまいなどの症状が出るようになりました。

次第に人との食事の場を避けるようになりました。誰かと一緒に食事をすることに強い不安や緊張を感じる「会食恐怖症」という心の病気だったのです。

『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』編集長 山口健太さん「食べられない時に1番辛かったのは、栄養がとれなかったことではなくて、周りの大人に理解されないことでした」

無理しなくてもいい…自分を否定しないこと

会食恐怖症を患っていた山口さんに転機が訪れました。大学へと進学し、歓迎会の食事会に出席したときのことです。

『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』編集長 山口健太さん「飲み物だけ飲んで、楽しく話せればいいっていう場合が多く、こういうふうな過ごし方でもいいんだなという経験が増えたんです。今までは、小学校で給食を全部食べるとか、高校のときはノルマの食事量を食べきらなきゃいけないとか、時間内に完食しなきゃということに自分はとらわれて、そうしなきゃいけないものだと思っていたし、食べられないやつはダメって思っていたので、そこでちょっと人と食事に行くというハードルが下がったんです」

また、飲食店のアルバイトをしたときは店の『まかない』が食べられませんでしたが、店の人たちに症状を打ち明けると、みんなが「無理して食べなくてもいいよ、練習だと思って食べればいいよ」と言ってくれました。

「会食恐怖症」について理解してくれる存在ができたこと、増えていくことで少しずつ症状は改善していきました。

同じ悩みを抱える人を支援したい…

『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』編集長 山口健太さん「それで安心できて、最初は食べられなかったんですけど、だんだん食べる量が増えていって、その延長線上で、波はありましたがよくなっていきました」

こうした経験を踏まえ、山口さんは同じ悩みを抱える人たちを支援したいと、2007年に一般社団法 日本会食恐怖症克服支援協会を立ち上げました。

現在は給食に悩む子どもたちへの理解を深めようと、教育者向けに給食指導の資料を無料で提供する活動を行っているほか、保育士や栄養士、医療従者などと情報発信に取り組んでいます。

『きゅうけん|月刊給食指導研修資料』編集長 山口健太さん「食の価値観は多様で、それぞれが違いを理解し、受け入れ合うことが必要です。今、給食のことや、食べられないことで悩んでいる人に対し、自分を否定しないでほしい」

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