日本はおろか世界に恥をさらすことになってしまった、森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長(当時)の「女性蔑視発言」をめぐる辞任劇。その後の後任人事をめぐる迷走も含め、情けなさにめまいがしそうな展開だった。後任は早ければ18日にも発表されると言われている。その前に、ここまでの一連の流れで気にかかったことを、今のうちに振り返っておきたい。森氏に後継指名され、その後一夜にして辞退に追い込まれた川淵三郎・元日本サッカー協会会長が果たした「意外な役割」についてである。(ジャーナリスト=尾中香尚里)
森氏の発言については「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言が引用され「女性『蔑視』発言」と評されることが多い。そのことに何の異論もないが、筆者が最も怒りを感じたのは「蔑視」部分だけではない。その後に続く「(理事に)女性の数を増やしていく場合は、発言の時間もある程度、規制を何かしておかないと」である。
一連の森氏の発言は、単なる「女性蔑視」ではすまない。問題の本質は、これまで男性たちの「内輪」の世界で形成されてきた空気を、彼らにとっての「異分子」である女性たちによって乱されたくない、つまり「異論を封じたい」という本音を、あけすけに吐露したことにある。
森氏はこれを、自分の意見としてではなく「誰が言ったか言いませんけど」と、まるで「匿名の誰か」の発言に自分が同調しているかのように語った。発言の責任を自分一人で背負うことを巧妙に避けようとしているのも情けないし、「他にも同じ意見の人がいる」ことをにおわせて「場の空気感」を作り出そうとしたことは、まさに「多数派の空気で少数派の声を封じる」ことを狙ったものだとしか言いようがない。
さらに森氏は「(組織委員会の女性理事は)みんなわきまえておられて」「話も的を射た発言をされて、非常にわれわれは役立っております」と続けた。
「少数派たる女性は、発言したいなら余計なことを言うな。われわれ多数派(=男性)のつくった空気をわきまえて発言せよ。多数派のわれわれにとって役立つ(=邪魔にならない)存在に徹するのであれば、女性がこの場に存在することを許してやってもいい」
森氏の発言から透けて見えるのは、つまりこういう意識である。森氏だけではない。その場にいて「笑った」人々すべての共通認識なのだろう。
問題の発言が飛び出した3日の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会では、スポーツ庁が示した競技団体が守るべき指針のガバナンスコードで「女性理事の比率を40%以上」とする目標が掲げられたことが話題に上ったという。多数派の和を乱す「異分子」たる女性を増やさざるを得ないことへの生理的な不快感が「文科省(文部科学省)がうるさく言うんでね」という森氏の言葉につながっているわけだ。
森氏の発言は、女性蔑視の意識が「多数派による少数派の排除」と結びついたことで、単なる女性蔑視発言を超えて大きな問題となった。発言を批判する女性たちがネットで用いたハッシュタグが「#わきまえない女」であったことは、当事者にとって問題が正確に認識されていたことをうかがわせる。
このように考えると、森氏の発言は単に「女性蔑視」問題のみでとらえるわけにはいかないようにも思えてくる。発言ににじむ「少数派の排除」「異論封じ」は、少数派が女性であることに限らないからだ。
力のある者から「内輪の論理をわきまえない異分子」とみなされた存在は、たとえ誰であっても、容赦なく言葉を奪われかねない。何かをきっかけに立場が変われば、邪魔扱いされ、排除され、言葉を封じられる存在になってしまうかもしれない。そのことに対する危機感はあるだろうか。
さて、ここまで書いてようやく、冒頭に書いた川淵氏の登場である。
辞意を固めた森氏は11日、川淵氏と面会して後任の組織委会長を打診する。自らの発言問題で引責辞任を余儀なくされた張本人が「密室」で後継を指名しようとしたことは、前述したような男性たちの「内輪」の世界で物事を決めようという話であり、発言の何が批判されたのかが全く分かっていないと言うしかないのだが、この後の展開が違った。
後任の打診を受け入れた川淵氏がその後、記者団に後継選びの内幕をぶちまけてしまったのである。
「『小池さん(百合子東京都知事)がえらい喜んでいたよ』とか森さんに言われた。きちんと準備して、僕を迎え入れようとしてくれるわけだから、『勘弁してください』とは言えない」「森さんには相談役でサポートしてほしいとお願いした」
会長選出に向けた正規の手続きを経る前に「次期会長を受諾する」考えを示した上に、引責辞任する森氏を「相談役に」と述べるなど、就任後の人事まで明かした。そして極め付きが、後任人事について菅義偉首相が「もっと若い人、女性はいないか」と述べたことに言及した点だ。事実なら菅首相は、会長人事に事実上「介入」していたことになる。
当の菅首相は、事実関係を問う記者団に「あの、川淵さんと話していません」と述べて言葉を濁した。同時に「私自身は、やはり国民の皆さんから歓迎される、そうしたなかで、ルール、透明性に基づいて決定をするべき、こういうふうに考えています」とも述べ、川淵氏の人事を快く思っていないことをうかがわせた。報道によれば、複数の政府関係者が、川淵氏が明かした菅首相の発言を認めているという。
菅首相は森氏の発言について、組織委が公益財団法人であり、政府に任免権がないことを盾に「独立した法人としての判断を尊重する」として態度表明を避けてきた。有り体に言えば「逃げていた」のだ。それが、森氏の後任人事には一転して政治介入をもくろむというのなら、菅首相は森氏の発言に判断を避けた「ご都合主義」の姿勢が、改めて問われることになる。
川淵氏の発言で結果的に自身に火の粉が降りかかる形になったことを、首相が不快に思わないわけがない。それが、わずか1日で川淵氏が後任会長への就任を辞退する展開につながったとみるのが自然だと思う。
結果として、川淵氏はその「口の軽さ」によって、前述したような「男性たちの『内輪』の世界で物事を仕切り、形成してきた空気」を国民に見せつけることとなった。すなわち、「密室で後継を指名し『内輪』でない人々には決まったことをただ受け入れさせるだけの世界」は、森氏が辞任しても何も変わっていないという現実を、白日のもとにさらしたのだ。そして「密室」を「見える化」してしまった川淵氏は、最後にはその「内輪」の世界から排除され、切り捨てられることになった。
筆者自身も、川淵氏があのままの経緯を経て後任会長になることには批判的だった。だが、そのことはさておき、川淵氏がこの茶番劇の内幕を「暴露」したことは、問題の所在を国民に明らかにしたという点では、不幸中の幸いだったのかもしれないとも思う。
意図せぬ言動だったのかもしれないが、とにかく川淵氏は良くも悪くも「わきまえない男」となったのである。