「ジュビロ(磐田)では、好き勝手やってました」
現役時代を振り返る、蹴球人・福西崇史の言葉だ。
まさか当時のジュビロが、ピッチ上で選手が好き勝手にプレーすることを容認していたとは、想像がつかない。今だから語れるエピソードだが、多くのサッカーファン・サポーターが驚く発言だろう。
およそ19年前。史上初の完全優勝を成し遂げた、2002シーズンのジュビロ磐田を思い返す。右の攻撃的MF(ミッドフィルダー)に藤田俊哉、左の攻撃的MFに奥大介、右ボランチに福西崇史、左ボランチに服部年宏が定着し、真ん中に、名波浩が存在した。
かつてのジュビロで“盤石の布陣”とも言われたツーボランチ。彼らは、いや、少なくとも23番を背負う福西崇史は、好き勝手にピッチを縦横無尽に走り回っていたらしい。
当時のジュビロは、計算し尽くされたサッカーを展開しているようにみえたが、間違いだったのかもしれない。選手1人1人が自分自身で考えて走り、ピッチでプレーする。当たり前のようだが、恐らく、どんなJリーガーでも難しいはずだ。
ボランチとしての葛藤や喜びをシェアしてもらうインタビューの途中、個人的にどうしても聞きたかった質問を投げてみる。(FW(フォワード)からボランチへ突然、コンバートされたというエピソードを確認し)率直に尋ねた。
「ボランチを担うと強化担当やコーチ陣から言い渡された時、嫌だと思わなかったのですか?」
(オンライン越しに)笑顔がみえた瞬間、意外な反応がかえってきた。
「そんな余裕、ないっすよ(笑)」
拍子抜けするほど、福西崇史のボランチ人生のスタートはシンプルで過酷だったようだ。
プロサッカーの厳しさを、私たちファン・サポーターは、ほとんど知らない。ポジション争いのし烈さ、日々のトレーニングやプロ生活の一部さえも、恐らく理解しきれていない。テレビやスタジアムで、あーだこーだと好き勝手に、独自のサッカー論を展開しているだけ。だからこそ、サッカーは面白い。
蹴球人・福西崇史による“ボラゼミ語録”は「ボランチゼミナール〜Additional Time」と題して、magazineのWeb上で複数回に渡って披露される。次回は、国際AマッチのピッチとJリーグのピッチにおけるボランチの役割に着目する。
Text / GayaR Magazine STAFF
Photo / kassy_GayaR
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リアルタイムスポーツ実況アプリ「GayaR」内のコンテンツ「ボランチゼミナール」のライブ配信は、感染症対策を徹底し行われています。なお、ライブ配信後に敢行されたインタビューは、オンラインにて実施されたものを掲載しています。