1991年10月に横浜市旭区本宿町の自宅付近で野村香さん=当時(8)=が行方不明になってから、1日で30年がたった。いまだ有力な手掛かりがない中、新型コロナウイルス感染症の影響で、香さんの両親や進学予定だった市立本宿中学校の生徒らが行っていたチラシ配りは昨年に引き続き今年も中止となった。「当時の記憶は徐々に失われつつある」。支援者や地域住民からは事件の風化を懸念する声が上がる。
◆苦渋の決断
「チラシ配りの中止は非常に残念で悔しい。長年ご両親とも接してきて、香さんへの切実な思いを感じながらやってきたのに…」。本宿中の柿沼隆一校長(62)は無念さを募らせる。
同校では、香さんの誕生月である3月と行方不明になった10月の年2回、相鉄線の二俣川駅と鶴ケ峰駅でチラシ配りを行い、情報提供を呼び掛けてきた。
香さんが進学するはずだった同校にはかつて香さんの籍が置かれ、教室にはほかの生徒と同じように机といすが並べられていた。同級生が卒業した後も、地域や県警と連携して、年2回の活動は欠かさなかった。
それだけに、中止は苦渋の決断だった。「当時は生まれてもいない若い世代にも広く事件を伝える活動になっていた」と柿沼校長。コロナ禍に生徒さんを街頭に立たせるのは申し訳ない─。そんな香さんの両親の意向もあったという。
◆事件知らぬ新住民
30年という歳月はあまりに長く、関係者の心に重くのしかかる。
当時3年生の香さんが通っていた市立本宿小学校の教職員や保護者らでつくる「香ちゃんをさがす会」は20年前に解散。自宅周辺には新築アパートが立ち並び、事件を知らない新住民も増えた。
3歳の子どもがいる女性(34)は「最近になってこの近くの事件だと知った。事件の話はしたことがない」。引っ越して半年という女性(39)も「まさかこの地域で起こったことだったとは」と目を丸くする。
香さんと同じ本宿小を卒業した男性(40)は「昔から情報提供を呼び掛ける看板はあるものの、地域住民でさえも事件が記憶の片隅に追いやられてしまっているような気がする」ともどかしさをにじませる。
◆悔しさ胸に捜査
「必死に捜したが、何も手掛かりがつかめず悔しさだけが残っている」。当時、機動隊員として捜索に当たった神奈川県警旭署の荒井卓夫署長(58)は振り返る。
あの日は、大雨だった。目撃者はおらず、雨でにおいがかき消され、警察犬も跡を追い切れなかった。
同署の特別捜査本部にはこれまでに3130件の情報が寄せられたが、ここ数年は年に数件程度。荒井署長は「大きく進展できるよう捜査を継続し、事件の風化を防ぎたい」と誓う。
30年がたち、周囲は様変わりした。だが、両親と姉の4人で暮らした一戸建ての家は、今も香さんの帰りを待ち続けている。
◆野村香さん行方不明事件 1991年10月1日午後3時50分ごろ、自宅から約540メートル離れた書道教室に向かう途中で行方不明になった。県警は今年8月1日現在、延べ9万6756人の捜査員を動員し5万7860世帯、9万168人に聞き込みを行ったが、有力な情報は得られていない。情報提供は、旭署特別捜査本部電話045(361)0110。