◆1000円札が50万円に。賭博ゲーム機の隆盛
投入口に千円札を入れると、テレビゲーム機の画面にトランプのカードが5枚並ぶ。その中から何枚かをボタンを押して引き直すと、ポーカーと同じゲームができる。手役が得点となり、最強の「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」ができると、千円札1枚が一瞬にして50万円になるーー。
ここまで射幸心をあおる賭博ゲーム機を備えた喫茶店やゲーム店が、東京や大阪などの繁華街で大っぴらに営業していた時代があった。1980年代の前半のことである。読売新聞大阪社会部は1982年9月、賭博ゲーム機の追放キャンペーンに乗り出した。社会面には連日のように「現金とばく大流行 一勝負数万円 相次ぐ家庭悲劇」「ボロもうけ億の金 スローな警察立ち遅れ」「大当たりスイッチはOFF 自在に操る業者 二か月で七千万円」といった見出しが躍った。
キャンペーンのきっかけは社会部に届いた1枚のはがきだったという。
小学生らしい筆跡で「お父ちゃんがポーカーゲームをしはじめてから、ボクのうちお金あらへん」と書かれている。これに目を留めた当時の社会部長・黒田清氏は遊軍記者らに賭博ゲーム機について尋ね、盛り場へ取材に行かせた。数時間後、賭博ゲーム機を置く店から戻ってきた記者の報告を聞くなり、黒田氏はこう言った。
「よっしゃ、それキャンペーンで行こ。家庭生活をつぶしてしまうような機械に繁華街を占領されたらえらいこっちゃ。警察もひどいもんやなあ、そんな機械をよう取り締まらんのやから」
◆ゲーム機利権に群がる警察を調査報道で暴く
一連の取材経緯は、読売新聞大阪社会部が著した「警官汚職」に詳しい。読売新聞の賭博機追放キャンペーンと同時並行で、警官汚職の事件捜査も進む。汚職事件は大阪地検と大阪府警が内偵していたもので、ゲーム機の取り締まり情報を漏洩する見返りに警察官が金品をもらうという内容だった。
大阪府警は1982年11月1日にまず、取り締まり情報をゲーム店経営者に漏洩して現金を受け取ったとして曽根崎署の警察官を逮捕。この年の末までに現職警官を計3人、ゲーム業界に天下りして現職警官に現金を渡す役回りだった元警官の2人を逮捕した。ゲーム機汚職はさらに広がりを見せる。ゲーム業者と不適切な付き合いを繰り返したとして警視や警部ら計5人が諭旨免職となったほか、減給や戒告などの懲戒処分が47人、訓戒・注意は71人。処分された124人のうち、規律違反の当事者は40人に上った。
事件が発覚した1982年11月以降、読売新聞には次のような見出しの記事が、次々と掲載された。
「底なしの“たかり警官” 大阪本社へ告発ぞくそく」「手入れの日 店に電話」「月百万縁契約の署長も」「飲食代の領収書回す」
「疑惑警官15人を聴取」「大阪府議も介在 目こぼしを依頼」
「情報流した警官逮捕 警視らに毎月100万円 本社記者に“自供” みんなもらってる」
◆警察関係者や読者から続々と“内部情報”
読売新聞の大阪社会部には、賭博ゲーム機追放のキャンペーンを始めた当初から電話や郵便で大量の情報が寄せられたという。「警官汚職」にはその一部が記されている。改めて目を通すと、業者と警察のただならぬ関係はまるで映画のようだ。
「大阪府警を堕落させたのは防犯部のOB警官たちだ。幹部だったOBを通じて業者から現金が現職警官の多くに渡っている」
「汚職事件の奥は深い。現場の警官ばかりでなく、大物の警官を捕まえないと府警の大掃除はできない」
「賭博ゲーム業者が加盟している協会組織の顧問に政治家が座っていて、ゲーム業界には警察OBが数多く天下っている。トカゲの尻尾切りで終わらせてはだめだ」
「前本部長とも親しかったある国会議員はスロットマシンを認可させる見返りに業者から2億円受け取った」
こうした情報を手がかりに、記者たちは丹念な取材を続けた。大阪府警による捜査は、身内に対するもの。その限界が見える中、事件の全貌に迫ろうと、内部告発された情報の一つ一つをつぶしていく。警察発の情報には頼らない、調査報道取材の真骨頂だった。
点は点として成立するものの、点はなかなか線にならない。2千万円に及ぶ業者のカネを政治家に運んだという女性に関する情報もあった。その住所を突き止め、何度も足を運ぶ。結局は「あのころのことは忘れてしまったんです。ほとんど覚えていないんです。許してください」という答えしか返ってこない。記事にならない、そんな情報はいくらでもあった。しかも他の新聞・テレビはほとんど追いかけてこない。
それでも大阪社会部は、何本か重要なスクープを放った。
「汚染ゲーム機加入の協会 秦野法相、顧問だった」「大臣就任の直前に辞任」(1982年12月9日朝刊)
さらに、パチスロメーカーがつくる協同組合の役員に警察庁OBがずらりと顔を並べ、当時の後藤田正治官房長官が過去に顧問を務めていたことなども報じた。
◆「そんなに簡単に社会悪に勝てるかい。それでもやらないかんのだよ」
賭博機追放キャンペーンから5カ月ほどが過ぎた1983年1月21日朝刊に、大阪社会部の黒川満夫記者は「信頼回復の出発点に」と題する大型の解説記事を書いている。当時としては日本警察史上最大の処分者を出したことを踏まえてのものだ。
「……結局、現職の逮捕は三人だけ、階級では一番上が警部補であり、業者の車を乗り回していた警視は免職になったものの書類送検だけでとどまった。」「退職後そのまま取締対象であった業者に“天下り”していたOB警官の腐敗は目に余るものがあったが、これも逮捕は巡査部長と巡査長の二人だけ…」
ゲーム業者と国会議員の金銭をめぐる取材に自ら終止符を打った記者の1人は、警官汚職やパチスロ問題に関する衆院予算委員会の質疑をテレビで見ながら、大きな岩のような警察という組織の厚い壁を感じていた。新聞記者がかけずりまわり、野党議員が追及を続けても、その岩はびくともしない。組織の末端のほんの少しが削り取られただけで、壁はますます厚くなるようだ、と。
その思いを社会部長の黒田氏にぶつけると、こんな言葉が返ってきたという。
「なにを沈んでいるんや。みんなよくやったやないか。そんなに簡単に社会悪に勝てるかい。それでもやらないかんのだよ」
(フロントラインプレス・本間誠也)
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