広島平和記念公園内の慰霊碑に「名前なき犠牲者」

広島市で開催された原水爆禁止世界大会に、和歌山県代表団の一人として参加した。被爆2世で2002年から広島県被団協平和学習部長を務める大中伸一さんに平和記念公園内を案内してもらった。(和歌山信愛女子短大副学長 伊藤宏)

8月5日早朝に原爆資料館を見学し、国際会議を中座して、大中と再び会った。平和記念公園内の遺構・石碑巡りに、大中さんから誘われたからである。青森と福島から訪れた人々と共に、大中さんの案内でこの春にオープンしたばかりの被爆遺構展示館や、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、公園内に建てられた数々の石碑などを見て回った。

そのほとんどは、これまで自分一人で見て回ったことがあるものばかりであったが、語り部の説明を受けながら見ると全く見方が変わっていく。例えば、北天神町原爆犠牲者芳名碑。多くの氏名が記されている中で、大中さんが「ここに『角川 某』とあるでしょう。隣に『妻』『子供二人』とありますが、住民票などが消失してしまったため、生き残った人の記憶を頼りに書かれたものなのです。名前も伝わらないような死、人間の死に方ではありません」と説明してくれた。

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平和祈念館に掲げられた、私たちがよく目にする被爆直後の写真についても「ここに2人の人間の姿があるでしょう。1人は米軍関係者で、もう1人は日本人の科学者だと思われます。写真の下の方に柵のようなものが映っていますよね。おそらく米軍の車から映した写真だからでしょう」と大中さんが解説してくれた。

大中さんの説明に聞き入る

日本損害保険協会の被爆20周年記念之碑は、大中さんによると「ここに『なぜあの日はあつた。なぜいまもつづく。忘れまい、あのにくしみを。この誓いを』とあります。数ある碑文の中で、憎しみを訴えているのはこれだけです。けしからんということで、右翼と思われる人々に石碑が持ち去られたこともありました」ということだ。大中さんは「遺構は事実を直接語りかけてきますが、石碑は建てた人の意図が込められているものなのです」と教えてくれた。改めて語り部の役割の大切さを学ぶことができた、貴重な体験だった。

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