「エスプレッソをひとつ」は、倉敷市水島エリアにあるイタリアのバールを再現した本格的なエスプレッソ専門店です。
店主の有宗美朝(ありむね みのり)さんは、エスプレッソの発祥地であるイタリアに留学し、バリスタになるために修業を重ねてきました。
イタリアのバールで働いた経験のある人だからこそ再現できるエスプレッソが、倉敷市水島で味わえるのです。
本場イタリアの味を楽しめるバールが、どのようにして水島の街にやってきたのかを有宗さんに聞いてきました。
「エスプレッソをひとつ」のこだわりと有宗さんがバリスタになるまでの経緯を紹介します。
「エスプレッソをひとつ」とは?
「エスプレッソをひとつ」は、2022年6月10日にオープンした倉敷市水島エリアにあるエスプレッソを提供しているバールです。
岡山県内では数少ない本場イタリアのエスプレッソを楽しめます。
「エスプレッソをひとつ」の紹介
「エスプレッソをひとつ」の最寄り駅は水島臨海鉄道栄駅で、店舗は駅から徒歩約5分のところにあります。
飲食店が並ぶ水島の繁華街の路地を一歩入ったところにあり、夜になると店舗の窓から暖かい色の光がこぼれているのが印象的です。
こぢんまりとした店内に踏み入れて、まず目に留まるのは、エスプレッソを楽しむための立ち飲み用のカウンター席。
エスプレッソの発祥地イタリアのバールと同じように、立ち飲み用のカウンターが設置されているのは「エスプレッソをひとつ」のこだわりの1つです。
立ち飲みカウンターだけでなく、4人席のテーブルと2人席のテーブルも用意されています。
店主 有宗美朝さんの経歴
岡山市出身の店主 有宗美朝さんは、工業高校を卒業したのちに、大手企業の工場に勤務していました。
就職できたことに満足したものの、仕事を続けるなかで人生を見つめ直すきっかけに出会い、自分で商売を始めようと決めた仕事がバリスタです。
そして、バリスタになるための修業の場所として、エスプレッソの発祥地イタリアを選びました。
フィレンツェにあるレストランで働きながらバリスタになるための一歩を踏み出します。
さらに、日本に帰ってきてからも、香川県高松市内にあるエスプレッソ専門店で働きながら、バリスタとしての技術を磨きました。
そして2022年6月10日に、有宗さんのこだわりのエスプレッソを提供する場所として「エスプレッソをひとつ」をオープン。
本場イタリアのエスプレッソが味わえるバールを水島に構えました。
「エスプレッソをひとつ」のメニュー
「エスプレッソをひとつ」では、イタリアの価格に合わせて、エスプレッソ1杯を1ユーロ(およそ150円)で提供しています。
エスプレッソへのこだわりが価格にも表れているのは、「エスプレッソをひとつ」の魅力です。
他にもアメリカーノ、カプチーノ、カフェラテ、エスプレッソトニックなども用意しているので、エスプレッソが苦手という人でも、本場の味を楽しむことができます。
カプチーノを注文したときには、目の前でエスプレッソにスチームしたミルクを注いでくれました。
また海外産ビール、スコッチウイスキー、アメリカンウイスキーが数種類用意されているので、お酒を楽しみたい人も満足できるお店です。
食べ物は、自家製パンを使ったパニーニを用意。
さらにデザートとして、倉敷市玉島にあるジェラート屋GELATO OBLATE.(ジェラート オブラーテ)のジェラートも提供しています。
メニューは変更することがあるので、実際に店舗に足を運んで確認しましょう。
有宗さんのエスプレッソに対するこだわりが、どのように生まれたのかをインタビューを通じて紹介します。
イタリア、フィレンツェでの生活のようす、お店を構えるに至るまでの経緯を知ると、有宗さんのエスプレッソがより深く味わえるかもしれません。
「エスプレッソをひとつ」の店主 有宗 美朝さんへインタビュー
お店を構えるまでの経験、お店を出してからの変化について、有宗さんに聞いてきました。
有宗さんの言葉から、一杯のエスプレッソに込められた物語が見えてきます。
バリスタを志した背景
──昔からバリスタになりたいと思っていたのでしょうか?
有宗(敬称略)──
実は、工業高校を卒業して工場で働き始めたときは、バリスタになろうと考えていませんでした。
むしろ、収入を得て自立したいという思いが強かったので、高卒で安定した企業に就職できたことに喜んでいたぐらいです。
しかし、数十年勤めている先輩社員を見ていたら、「このまま同じ生活を続けていてもいいのか」という不安を覚えました。
月日が経つにつれて、自分で商売ができるようになりたい、と思うようになったのです。
──仕事を辞めようと思ったきっかけは?
有宗──
工業高校を卒業して、すぐに就職したこともあり、人より経験が少ないことに劣等感がありました。
たとえば、大学へ進学した同級生は、海外旅行に行ったり、留学したり、工場での仕事を続けるだけでは体験できないことをしていたので、憧れを覚えていたんです。
もやもやとして気持ちを抱えながら働くなかで、海外へ行くきっかけをくれたのが職場にいた1つ年上の派遣社員のかたでした。
その先輩社員は、ワーキングホリデーを利用して海外で生活することを計画していて、お金を貯めるために出身の鹿児島から岡山に引っ越して働いていたんです。
無縁だと思っていた海外での生活でしたが、「自分でチャンスは作れるもの」と知った瞬間でした。
──なぜ、バリスタを選んだのでしょうか?
有宗──
自分の商売を持ちたいという思いもあったので、海外に行くのであれば旅行ではなく、将来につながることをやりたいと考えました。
コーヒーを提供することなら自分でもできそうだと思って調べてみると、岡山にはエスプレッソを扱っているお店が少ないことに気がつきます。
もしバリスタになるなら、まずはエスプレッソの発祥地イタリアの文化や雰囲気を経験したいと思ったんです。
できることから始めようとインターネットで調べたところ、バリスタ養成の留学プログラムを見つけ、イタリアに行くことを決めました。
イタリアで学んだこと
──どのようなところで働いていたのですか?
有宗──
イタリア、フィレンツェにあるFlorian(フロリアン)というお店です。
エスプレッソを立ち飲みできるバールにレストランも併設されている店舗で、地元の人だけでなく観光客も訪れるお店として賑わっていました。
店舗での会話は、もちろんイタリア語です。
イタリア人のシェフやバーテンダー 、そしてスタッフにはアジア圏出身の人たちもいて、業務の伝達も、接客もイタリア語で行なっていました。
語学学校に通ったとはいえ、すぐにイタリア語を扱えるわけではありません。
意思疎通に不自由しながら働いていましたが、最終的にはお店での業務は行なえるようになりました。
──一番大変だったことは?
有宗──
Florianで働き始めたころ、お皿洗いや掃除などのいわゆる雑用をたくさん任されました。
1か月ぐらい雑用する日々が続き、イタリアに移り住んでまで働いているにもかかわらず、技術を身に付けられないことに不安を感じ始めます。
さすがに、雑用を続けるわけにはいかないと思い、バリスタとして技術を学ぶために働きにきていることを改めてお店に伝えたんです。
すると、雑用ばかりをやらされることはなくなり、エスプレッソを作ることも任せてくれるようになりました。
イタリア語が未熟だからといって萎縮していたら何もできなかったと思います。
──イタリアではどのようなことを学べましたか?
有宗──
エスプレッソの本場であるイタリアの文化やバールの雰囲気を感じ取れたことは、イタリアに留学したからこそ得られたかけがえのない経験だと感じています。
でも、実はエスプレッソについての知識や作り方の技術は、十分に身に付けられませんでした。
イタリアでは、エスプレッソコーヒーが美味しいからという理由でお店を選んでいるのではなく、馴染みのお店だから通っているというお客さんが多い印象を受けます。
だから、Florianが本当に美味しいエスプレッソを提供しているのかは、当時の私にはわかりませんでした。
エスプレッソの知識を身につけ、技術を基礎から習得する必要があると考えるようになったんです。
日本で学んだこと
──日本でどのように勉強したのでしょうか?
有宗──
香川県高松市にあるエスプレッソ専門店で働きながら勉強しました。
フィレンツェに日本人が経営するバールがあり、その店主から高松市内に本場イタリアのように立ち飲みができる本格的なバールがあると聞きました。
教えてもらった高松市のバールは、JBA(日本バリスタ協会)が主催するコンテストで、2年連続で優勝するようなバリスタが店主を務めているお店です。
帰国してからは岡山市内で働いていたのですが、高松のバールのことを思い出し、勉強のために働かせてもらえないかとお願いしました。
まずは、岡山市内での仕事をメインにしながら週1回の頻度で高松に通い、最終的には高松に移り住んで、バールで働きながら技術を磨くことに専念できるようになりました。
──高松のお店ではどのようなことを教えてもらいましたか?
有宗──
エスプレッソの作り方はもちろん、接客のマナーを一から叩き込まれました。
お客様への言葉遣いや皿の置き方、片付け方など、基本的なマナーを教えてもらえたんです。
店主は、些細なことも指摘してくれる人だったので、本当にありがたく感じています。
また店主は、もともと日本バリスタ協会を立ち上げた人のもとで働いていたんです。
JBAが推奨するエスプレッソの作り方を教えてもらえたので、基本を身につけることができました。
「エスプレッソをひとつ」のこだわり
──水島にお店を構えた理由は?
有宗──
本場イタリアのように、立ち飲みができて、1ユーロ(およそ150円)でエスプレッソを飲めるバールが私の理想でした。
その理想を叶えたとしても、経営が成り立つ店舗を探していたんです。
「エスプレッソをひとつ」の店舗を紹介してくれた人は、イタリアに留学する前から仲良くしてくれている洋服屋のオーナーでした。
もともと岡山市内に店舗があった洋服屋でしたが、今はオーナーの地元である水島に店舗があります。
私がバリスタとして修業していることも応援してくれていて、水島によい物件をあるのを教えてくれたんです。
紹介してもらった店舗であれば、私の理想を実現できそうだと思い、水島にお店を構えるに至りました。
──どのようなお客さんが多いのでしょうか?
有宗──
居酒屋が多くある水島は、夜になるとお酒を楽しむ人が街に出てきます。
お酒を楽しんだ後に、ゆっくりコーヒーを味わおうと立ち寄ってくれる人たちが多いです。
また、「エスプレッソをひとつ」のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)での発信を見て足を運んでくれる人も多くいます。
最近は、水島の近隣に住んでいる常連の人が訪ねてくれるようになりました。
──エスプレッソを作るために大切にしていることは?
有宗──
高松のお店では、JBAが推奨する基本的なスタイルを教えてもらいました。
でもフィレンツェのFlorianや、他のエスプレッソ専門店では、異なる作り方をしていたんです。
作り方に応じて味に変化が生まれるのですが、基本とは異なる美味しさが感じられます。
また、本場イタリアのバールではお客さんの好みに合わせて作り分けていました。
エスプレッソの美味しさには正解が複数あるのだと考え、作り方に遊びの部分を持たせることを大切にしています。
──これからどのようなことに挑戦していきたいですか?
有宗──
夢というか、理想の働き方があります。
「1年のうち1か月はお店を休みにしてイタリアなどの海外でバリスタとして勉強、そして残りの11か月間は勉強してきたことを還元する」、このような働き方ができたら楽しそうですよね。
日本に帰ってきたらお土産を振る舞うための営業を1週間ぐらい続けて、常連のお客さんにも楽しんでもらいたいです。
こだわりのエスプレッソを、お客さんと一緒に味わえるお店にしていこうと思っています。
エスプレッソを味わったあとに
本場イタリアのエスプレッソを味わえるバール、という表現は明快ですが、小さなカップに注がれたエスプレッソの苦味には一言では伝えきれない深みを感じました。
今の有宗さんの姿は、工場で働き始めたときからは想像できないでしょう。
工場にいたときでも、フィレンツェでも、高松でも、常に課題を見つけて、たゆまずに行動を続けてきました。
一つひとつの行動が、有宗さんが理想を現実に変えていった理由です。
その過程のなかで見てきた光景が、深みのあるエスプレッソの味を生み出しているのだと思います。
本場イタリアのバールを知るバリスタがいるお店で、エスプレッソをひとつ、味わってみてはいかがでしょうか?