ArTechX.ingは「アーテックス アイエヌジー」と読みます。
技術(Tech)に感性(Art)をのせて、変革(X)を続ける(ing)という全社一丸の想いが込められた社名です。
2024年(令和6年)4月に関西プラスチック工業から社名変更したばかりのArTechX.ingは、2023年の新社屋完成に合わせて、倉敷市と「非常災害時における施設利用に関する協定」を締結しました。
ミッションステートメント2023を掲げ、半導体技術による希望あふれる未来づくりを目指す、創業76年目の老舗企業。その舵(かじ)を取るのは藤南和将(とうなん かずまさ)社長です。
幼少期以来の友人である筆者が、インタビューを通じて藤南社長の想いを紹介します。
「ArTechX.ing(旧関西プラスチック工業)」とは
半導体の製造工場では、半導体の材料を洗浄したり研磨したりするために、超純水製造装置などの専用装置を必要とします。
倉敷市四十瀬(しじゅうせ)にあるArTechX.ingは、そうした専用装置をオーダーメイドで生産・提供することで、大手の半導体製造企業を支える企業です。
創業
1948年(昭和23年)、三興敷物(さんこうしきもの)株式会社は、藤南和将社長の祖父である藤南勝太(とうなん かつた)氏によって設立されました。
輸出花莚(かえん)の製造・販売の会社です。
江戸時代初期、倉敷はすでにたたみおもての生産地でした。明治の初めには、磯崎眠亀(いそざきみんき)が精巧な花莚である錦莞莚(きんかんえん)を完成させます。これによって花莚は岡山県の特産品となっていきました。
「当時のことはよくわからないんですよ……」と、藤南社長は苦笑いをうかべながら続けます。
「まだまだ戦後の混乱期のなか、事業もあれこれと試行錯誤していたようです。発祥がどこなのかも、記録が残されていないのです。困ったものですよね(笑)」
それでも、岡山県が1955年に発行した『貿易名鑑』によって、1955年当時、三興敷物が倉敷市四十瀬で花莚の貿易業を営んでいたことが確認できます。
関西プラスチック工業からArTechX.ingへ
関西(かんさい)プラスチック工業株式会社は1956年(昭和31年)に設立され、1960年に三興敷物に吸収されますが、社名は関西プラスチック工業が採用されます。
関西プラスチック工業
「『関西プラスチック工業』になった経緯もよくわからないのです……。関西の大企業から、塩化ビニルの加工技術を教わったのがきっかけとなったことは間違いないようですが。関西以西を舞台に大活躍する大きな会社を夢見たのかもしれませんね」
と語る藤南社長。
綿花やい草が、石油由来の化学品に置き換わっていくという時代背景があったのかもしれません。
塩化ビニルを始めとした、配管工事の会社に生まれ変わった関西プラスチック工業ですが、1970年代には半導体関連事業へ進出することになります。
半導体製造事業では、超純水装置などの周辺装置が必要になるのですが、金属イオンを嫌う装置は塩化ビニルなどのプラスチック配管を多用するのです。
「そこに弊社の技術がマッチしました」と藤南社長は語ります。
ArTechX.ing
半導体技術に焦点を定めた関西プラスチック工業は、2024年4月、社名を株式会社ArTechX.ing(アーテックス.アイエヌジー)に変更しました。
半導体関連事業と配管技術
ここで、ArTechX.ingの主力製品と、その基となっているコア技術を紹介しましょう。
主力製品は、薬液供給装置や超純水製造装置、スラリー希釈供給装置といったユニット製品です。
樹脂配管がびっしりと詰まった装置を製作するには、ArTechX.ingが培った配管技術が必須です。
装置内部や配管内部をクリーンに施工するために、製作場所全体が大きなクリーンルームとなっています。
すべてがオーダーメイドの製品は、その装置を稼働させる電気計装も自社製です。
「配管技術が我が社のコア技術。そして、受注から、設計・筐体製作・機器配管施工・電気計装・メンテナンスまで一貫した施工体制が強みです」
藤南社長は胸を張ります。
新社屋
2023年に完成したばかりの新社屋を紹介しましょう。
- 事務所棟
地上4階
倉敷市認定一時避難所(2階部分)
2階部分にデジタルサイネージ採用 - 工場棟
地上4階階
エントランスを入ると、広いオープンスペースに驚かされます。
1階はゲストルームとオープンスペースのみとなっていました。
2階にもフリースペースがあります。
全社員が講習を受けた「7つの習慣」を常に意識できるようにとつけたルーム名称は、社長の自慢のひとつです。
Paradigm-ShiftやInside-Out、End in Mindといったルーム名称が並んでいました。
もうひとつの自慢はデジタルサイネージ。
「商用に使う気はないんです。子どもたちに倉敷を好きになってほしい。その役に立つように地域でうまく使ってほしくて、アイデア募集中です」
文化・スポーツ・観光案内などの地域情報発信に活用していきたいそうです。
工場棟は、セキュリティ上紹介できませんが、西日本最大クラスのエレベーターや、広大なクリーンルームなどが備えられていました。
非常災害時における施設利用に関する協定
2023年8月、ArTechX.ingは倉敷市と「非常災害時における施設利用に関する協定」を締結しました。
「倉敷市のハザードマップを見れば一目瞭然なんですよ。天井川を埋め立てたこの一帯は微高地なので、水害に強いわけです。そんなところに居座った以上、避難所になるしかないでしょう」
藤南社長は続けます。
「市から提供される水や食料などの非常災害時用の物資は2階に保管しています。1,000年に一度の災害でも2階なら大丈夫と言われていますので」
保管庫前にあるのが先ほど紹介した2階のフリースペースです。倉敷市認定一時避難所に指定されており、223.71平方mあって50人程度の受入が可能です。特注の可動式キッチンカウンターも整備されています。
この協定は、四十瀬が持つ縁を大切に、地元とともに歩むことのArTechX.ingの意思表示のように思えます。
四十瀬という場所
ここで、およそ70年間にわたってArTechX.ingが操業を続ける四十瀬という土地柄をたずねてみましょう。
倉敷市営球場がある一帯がその地です。
江戸時代から明治時代にかけて、高梁川では水害が頻発しました。四十瀬の堤防決壊のようすも残されています。鉄穴流し(かんなながし)の堆砂(たいしゃ)によって天井川となっていたことが、大きな要因のひとつといわれています。
「1893年(明治26年)の水害を契機として埋め立てられた造成地は、軍需産業の飯場(はんば)として活用されたそうです。第二次世界大戦後、民間に払い下げられ、弊社はここに工場を構えました」
と藤南社長は説明してくれました。
地域と共に生きる
ArTechX.ingはそのほかにも、以下のような地域活動をおこなっています。
- 文化事業
- 大学との連携
文化事業
ArTechX.ing は、ファジアーノ岡山のクラブスポンサーです。倉敷アブレイズの応援もしています。
オープンスペースには両チームのユニホームが飾られていました。
大学との連携
大学とも連携をおこなっています。
- 岡山大学
用水路氾濫警報システムを開発すべく共同研究 - 岡山県立大学
「吉備の杜」創造戦略プロジェクト
社名変更・新社屋建設をおこない本業の半導体事業だけでなく、地域活動にも力を入れるArTechX.ingの藤南和将(とうなん かずまさ)社長に話を聞きました。
藤南和将社長インタビュー
ArTechX.ingの藤南和将(とうなん かずまさ)社長に話を聞きました。
新社屋
──昨年(2023年)は社屋の建て替えとミッションステートメント2023の制定。本年(2024年)は社名変更と大きな決断が続きました。確かなビジョンと周到な準備が必要だったことでしょう。
藤南(敬称略)──
そんなことないですよ。成り行きですかねぇ。
社屋だって、弊社は少し前まで男ばかりの会社だったんです。ところが少しずつ女性社員が増えてきた。そのとき困ったのがトイレ問題です。
ひとつしかなくて、増設が必要になった。しかも、事務所や工場が分散しているので、あちらにもこちらにもつくらないといけない。ところが場所がないんです。
ああしようこうしようと図面を画いていたら、すべてが新しい建物になった(笑)
ミッションステートメント2023
──ミッションステートメント2023には、藤南社長の思いの丈が表れていますね。
藤南──
それはちょっと違います。
以前、経営理念を自分のことばで書いたんですね。
でも、三代目社長の想いなんて大したことないんです。一から会社を立ち上げた初代の足下にも及ばない。だから、社員みんなの想いをステートメントにしようと。そうしたらこうなった。
私は、ミッションに「半導体」を書き込むことに抵抗があったんです。
今、弊社の事業はほとんどが半導体関連です。でも、何名かはそれ以外の業務を担当しているんですよ。だから、書きたくても書けないと。
そしたら、みんなが書こうよと。担当していない社員も含めて「我が社のメイン事業だから」と。
うれしかったですよ。半導体でやっていく覚悟も決まりました。
──「原動力は社員の夢」は社長の以前からのことばと聞きました。社長の想いが込められているんですね。
藤南──
やはり「人」ですから、「健活企業」宣言などはしていますね。
あと、私の想いで追加したのは、ビジョンに括弧書きで入れた岡山弁と、7つの習慣くらいかな。7つの習慣は、私が講習を聴いて共感したんです。
で、社員全員、みんなに学んでもらった。そしたら、良いと言うので、新社屋の部屋の名前にも採用しました。
新社名
──ArTechX.ingという社名に込められた想いをお聞かせください。
藤南──
これもね、社員が考えてくれたんです。
私はずっと「技術力」にこだわってきましたが、「それだけじゃだめだ」ってなって、製品や使ってくれる人に「愛」がないといけないと。
じゃあ、「愛」って何?と考えて、「美しさ」「優しさ」…いろいろキーワードが出てくる。これをArtに置き換えて、Techは切り離せない関係だとか、XはDXで変わっていく力だとか、続けていく力はingでしょうとか。
すべてつなげたらArTechX.ingになりました。
地域活動
──文化事業や社会貢献活動について聞かせてください。
藤南──
地元のスポーツチームを応援したい気持ちと、私にとってはサッカーが家族で楽しめるスポーツなので、ファジアーノ岡山を応援しています。
クラブスポンサーとしての招待券は社員に使ってもらっています。私は、シーズンパスですね。
藤南──
岡山大学や岡山県立大学とは協働しています。
岡山県立大学の「吉備の杜」創造戦略プロジェクトでは、弊社の実践課題に取り組む大学院生や高次学年生を受け入れました。
2023年度は、デジタルサイネージの活用について一緒に考えてもらったのですが、その成果物である映像は、サイネージで流しています。
採用につながるともっと良いのですが、でも、私も社員も良い刺激をもらっていますね。
原点
──新社屋竣工記念にいぐさガラスを配ったとか。
藤南──
なにか地元のものがないかと探しました。きれいですよね。一目見て、「これだ」と決めました。
それに、やはりい草とは「縁(えん)」があるのだろうと。
──関西プラスチック工業の名前は残りますか。
藤南──
68年間お世話になった名前ですので、石碑の形で残させてもらうことにしました。
大原美術館児島虎次郎記念館、新倉敷商工会館、足高神社本殿屋根葺き替え、それぞれに寄附させていただくことで石碑に旧社名を刻んでいただいています。
おわりに
操業76年目の老舗企業の歴史と今を紹介しました。
社長室には、元ファジアーノ岡山の佐野航大(さの こうだい)選手のサイン色紙がさりげなく飾られています。津山市出身で、ファジアーノ岡山からオランダのNECナイメヘンに完全移籍した若きストライカー。
新生ArTechX.ingの未来を重ねているようにも感じられました。