「麻雀漫画は現実とは違う方向に進化していった」 『麻雀漫画50年史』V林田インタビュー

V林田は「マンバ通信」などで知られざる漫画の歴史に光を当てる原稿を書き続けているライターだ。その初著書が刊行された。『麻雀漫画50年史』は、これまで特異なジャンルとして忌避されてきたジャンルに正面から取り組み、その全体像を浮かび上がらせた画期的な漫画研究書である。『天牌』や『アカギ』『哭きの竜』を巡るもろもろを明らかに可視化する本書はいかにして成立したのか。作者に語ってもらいたい。(杉江松恋)

たまたま80年代に突然天才がたくさん出てきた

——ご著書『麻雀漫画50年史』は日本漫画の中でも特異なジャンルを、黎明期から現代に至るまで綿密な作品読解と関係者インタビューで構成した通史です。これで麻雀漫画の全体像がわかるというのはすごいことだと思います。言及されている作品の引用も程がよくて、非常に読み心地もいいです。

V林田:ありがとうございます。本当は図版ももっと引用したかったんですけど、あまりにページ数が増えすぎたので削るしかなくて。それもこれも二稿でいきなり100ページ増やした私が悪いんですが(笑)。

——何が増えたんですか。

V林田:章間のコラムは全部書き下ろしです。また、同人誌で「70年代編」を書いたときは個々の作家について列伝を立てていたんですけど、「80年代編」では列伝立てるのを忘れていて、それも追加していたりします。あと、(漫画家の)嶺岸信明さんとか青山広美さんとかのインタビューは、二稿と前後して実現したので、それで新たにわかったことを追記したりしているうちに、どんどん当初の予定から進行が遅れていったんですね。

——本の序盤は、麻雀漫画というジャンルが次第に形成されていく過程が書かれています。竹書房が麻雀専門出版社として出発して、麻雀漫画誌乱立の1980年代を経て1990年代に「近代麻雀」ブランドの黄金時代を築いたという流れなんですよね。特に興味深かったのは、雀荘との関係について言及された箇所でした。

V林田:編集部にいた方に伺うと、「当時は雀荘からの広告料だけで全部制作費をまかなえていた」とおっしゃるんです。そこは麻雀の特殊なところでしょうね。

——第2章後のコラムにもまとめておられますが、時代を経るにしたがって麻雀漫画の表現が洗練されていったということが本書を読むとよくわかります。特に1980年代から90年代にかけての進化は凄まじいものがありますが、あれはなぜ起きたのだと思われますか。

V林田:わからないと言えばわからないんですよね。たまたま80年代に突然天才がたくさん出てきた、ということになってしまう。漫画のセンスがあってかつ麻雀に詳しい片山まさゆきさんみたいな方がいきなり80年代に出てきたわけです。後に『天牌』(原作・来賀友志)を描かれる嶺岸信明さんも、最初のころから圧倒的に洗練された画力の持ち主でした。インタビューに伺ったとき影響関係を伺ったんですが、「最初のころは、かわぐちかいじさんを追いかけてたのは確か」と。でも嶺岸さん自身もおっしゃっているように、かわぐちさんはあまり奇を衒ったような構図などは使われないタイプなんです。嶺岸さんは歌舞伎の見得のような、インパクトのある構図をかなりやられる。つまりかわぐちかいじ進化系ではないんです。かといって、直接の師匠である青柳裕介さんからというわけでもない。だから突然変異的に出現した方ではあるんですよね。

——偶然、同時多発的にさまざまな才能が出現したと。

V林田:あとは「闘牌原作」の存在も大きいと思います。麻雀プロが編集部からの依頼で麻雀シーンを考えるというシステムですが、これができたおかげで漫画家が余計なことを考えずに、表現をどう研ぎ澄ませるかに集中できるようになったのかなと。他のジャンルでも、たとえば医学漫画に専門家の監修が付くというようなことはあるわけですが、麻雀漫画は独特のシステム化がなされたジャンルだなと思います。能條純一『哭きの竜』も、「あんた手牌が透けてるぜ」という感じで、麻雀シーンのセリフ原型までは麻雀プロの方で考えていたといいます。それを「あんた背中が煤けてるぜ」というすごくはったりの効いたものに変えた能條氏の才能はすごかったわけなんですが。このシステムが整ったことについては、竹書房が麻雀の会社で、麻雀プロが会社内にたむろしてたから頼めたということがやはり大きかったんじゃないでしょうか。

——変なことをお聞きしますけど、この本を竹書房から出そうとはお考えにならなかったんですか。

V林田:それはまったく。竹書房について、結構遠慮のないことも書いていますし。「一時期の『近代麻雀ゴールド』は完全にどうかしていた」とか(笑)。それだと竹書房からはさすがに出せないな、という気持ちになりますよね。

麻雀漫画って実際の麻雀とは違う

——本書の出発点は、林田さんが作られていた同人誌「麻雀漫画研究」なんですよね。

V林田:「麻雀漫画研究」は関係者のインタビューがメインコンテンツでした。それを20号ぐらい出すと、主だった関係者の中で話を聞ける人のところにはだいたい行っちゃった状態になりましたし、話をうかがった人の中に亡くなる方も出てきてしまったので、きちんとした形にまとめなきゃいけないなと。ただ本1冊分の長い原稿を書いた経験がなかったので、「◯年代編」みたいに細切れの形で同人誌として一度出すという方法を取りました。それを結合して再編集したのがこの本という感じです。

——そもそも、林田さんが麻雀漫画に関心を持たれたきっかけってなんですか。

V林田:もともと麻雀はファミコンで憶えたんです。中学高校のころは学校でカード麻雀をやっていて、そのうちに片山まさゆきさんとかの、麻雀漫画の中でもおもしろい作品は読むようになった感じですね。おそらく平均よりは読んでいたと思いますけど、本格的に麻雀漫画を集め出したのは小林立『咲-Saki-』にどハマりしてからです。最初に出した同人誌も『咲-Saki-』についての本なんですが、そこにおまけコラムで麻雀漫画小史みたいなのをちょっと書いたんですね。書き始めたら先行研究者がほとんどいなくてよくわからないことだらけなんで、知りたくなった。わかんないと気になるタイプなんです。でも、他に誰もやる人がいないので、自分で調べるしかない。だから表紙も『咲-Saki-』なんですよ。「麻雀漫画なら、もっと男臭い表紙じゃなきゃ」という意見もあったんですけど、私にとっては原点だからしかたない(笑)。それで、手探りでインタビューに行ったり、資料色々集めたりした感じで。麻雀漫画の単行本は、古本市場でもプレミアがついているものはほとんどないんです。新規開店のBOOKOFFに行ってもだいたい手つかずで残っている。開店直後を狙う荒らしの人たちにも見向きもされてなかったんですね。あと、いとうグループとかほんだらけとかの大型古書店チェーンの片隅にもかなり捨て置かれてました。タイミングがよかったです。最近は大型古書店の閉店が続いてますから、集め始めたのが10年後だったら、もっと苦労していたと思います。

——本書の強みは背後に同人誌時代の関係者インタビューがあることだと思います。発言をそのまま書き写すのではなく、要所要所でこういう主旨のことを言っていた、と紹介されているのが内容を引き締めていますね。

V林田:どうしてもインタビュー部分を読みたい人がいたら、同人誌在庫はまだあるので、それを買っていただけるとありがたいです(笑)。

——麻雀漫画が今ある形になっていくという、体系ができる過程が本書では語られます。これは執筆前から仮説があったのか、それとも調べていく中でこういう時間軸で技巧が確率されたのか、と発見されたのか、どちらでしょうか。

V林田:北野英明は70年代の売れっ子なんですが、現在の眼から見ると再読は難しい。阿佐田哲也『麻雀放浪記』のコミカライズでもそうですね。でも、同じ原作を90年代に漫画家した井上孝重作品はおもしろいんです。それはなぜなのか、ということを一回言語化する必要があるとは思っていました。さっきも話に出たように1980年代が革新的だったんですが、そこは具体的に書かないと読者には伝わらないだろうと。あと、麻雀漫画って実際の麻雀とは違うんですよね。ふりかぶって牌を卓に叩きつけるとか誇張表現で、実際に雀荘でやったら一発で出禁ものです。そういう風に現実とは違う方向に進化していったということは書いておきたいなと思いました。

——この本を読むまで気づかなったことがいっぱいあるんですよね。たとえば、昔の麻雀漫画だと理牌(面子の形に整理せず牌がバラバラの状態)で和了するコマが結構描かれていたと思うんですけど今の作家はやらない、とか。

V林田:「理牌しないでも状況を理解している」とキャラの凄さを伝える手段だったんでしょうけど、読者にも普通にわかりづらいですからね(笑)。「理牌しないで清一色(同じ字牌の種類だけで面子を作る)を和了できる」は例外的に近年の作品でも見かけることはたまにありますが。

都合がいいデータだけをつまんでいくとなんでもありになってしまう

——私はデータ主義っていうのは良いことだと思っていて。自分の視点を持っている、意見がある、というのは聞こえはいいですけど、データなしに正しいか判断できないことを押しつけられるのは嫌なんですよ。調べたらこうなっていた、という林田さんの書き方は非常に信頼できると思っています。

V林田:先に仮説を立てて検証していくスタイルは当然ありだと思うんですけど、そこで自分の仮説に都合がいいデータだけをつまんでいくとなんでもありになってしまう。そういうのを見ると非常に腹が立ちます。もちろん、他人にやめろとは言えないんですけど、「理屈と膏薬はどこでもつく」という気持ちになってしまいます。たとえば、北野英明作品が1970年代にヒットしたことについても、その頃麻雀が第2次麻雀ブームだったから、という説明はストーリー的には綺麗なんです。ただ調べてみると、北野さんは最初の麻雀漫画単行本をヒットさせた年に競馬漫画の単行本も出しているけど、そっちはそんなに売れてないっぽいんです。でもよく考えると、当時は麻雀以上に競馬がブームだったはずなんですよ。阿佐田哲也知らない人はいても、名馬ハイセイコーを知らない人はいなかっただろう、というぐらいの。それを考えるとはたしてそれで納得していいのかと思っちゃうんですよね。それに、第2次麻雀ブーム自体も、阿佐田哲也『麻雀放浪記』の大ヒットということで説明されがちですけど、それだけでいいのかとも。

——実はそのころ麻雀牌の練り牌が登場して、安価で手に入れられるようになった。それでゲーム人口が増えたことの影響は大きいだろう、と書いておられますね。なるほどジャンルの中だけじゃなくて、社会全体に目を向ける必要もあるな、と思いました。

V林田:どうしても出版業界の人は、活字メディアがブームを作ったみたいな話にしたがるんですよね。それは自分たちに都合のいいドリームではないかと(笑)。自分が物書きである以上、そういうことにはより厳し目に見ていくべきではないかと思っています。

——『咲-Saki-』のように今の読者がよく知っているような作品について、その前の時代と比較して見ることができるのも本書の美点ですね。そうか、学生競技としての麻雀漫画は珍しかったのか、と当時の感覚も理解できます。

V林田:それ以前の学生競技麻雀は有名どころだと片山まさゆき『ミリオンシャンテンさだめだ!!』ぐらいしか思いつかないです。それまでの麻雀漫画は賭けで食ってる人間の話か、いわゆる麻雀プロの話の二択が主でした。あとはSFみたいに現実から思い切り離れているか。逆に言えば家族麻雀みたいな、仲間内でほのぼのと遊ぶ、みたいな話もあまりないんです。でもそうしてゲームとして遊んでいる人も多いわけで、やっぱり現実から麻雀漫画は少し外れているんですよね。

——お書きになっていて、ご自分で興奮した、楽しかったというのはどのへんですか。

V林田:青山広美さんのインタビューをやったときの話とかですかね。青山さんに『バード』って超大傑作があるんですが、全二巻で過不足なくすごく綺麗に終わっているんで、最初にプロットをきっちり立てていたんだろうと20年くらいずっと思ってたんです。でもインタビューに行ったら「いやあ、アドリブです。最初は『マジシャンが麻雀やったら無敵だろう』ぐらいしか考えてなくて、敵の造形とか必殺技とかは連載始まってから考えましたね」って言われて、えーっ、て。あまりに驚愕しすぎて、その後のインタビューがちょっとガタガタになって(笑)。そのくらい動揺しました。

——わかります、お気持ちは(笑)。2020年代以降に、麻雀漫画はどうなっていくと思われますか。かつての竹書房黄金期からまた違った展開かとは思いますが。

V林田:今の『近代麻雀』は完全にMリーグ中心の誌面に舵を切っているので、かつての『アカギ』とか『哭きの竜』とかみたいに一般層にも読まれるヒット作が出るのは難しいかもしれません。その代わり、麻雀アニメのコミカライズが『なかよし』に短期連載されたり、いわゆる「萌え4コマ雑誌」である『まんがタイムきららキャラット』で麻雀漫画が連載されたりもしています。麻雀漫画は「専門誌から時々ヒット作が出ていた」という特殊なジャンルではなくなって、普通の漫画ジャンルの一つになっていくのかな、と思いますね。もっとも、Mリーグに参入した後でKADOKAWAが始めた麻雀漫画は結構苦戦していて、そのへんにちょっと難しさは感じますね。『咲-Saki-』がヒットしたのは、作者のキャラクター造形能力が異常に高いことが一因だと思うんです。やはり卓につく4人のキャラクターがみんな立ってないとおもしろくできない。スタート時からそれをやるのはなかなか難しい。KADOKAWA系列の麻雀漫画の中で一番長期連載になっているのは東方Project二次創作ものの『切れぬ牌などあんまりない!』ですけど、あれは作者の宇城はやひろさんがもともとオリジナルの麻雀漫画も描いていた人だったので描き方が上手いということと同時に、原作が東方だからキャラクターが最初から立っているというのも大きいですよね。

——東方projectについては私が説明すると長くなるので各自検索ということで。キャラクターを立てるというのは漫画技巧の王道ですけど、さらにそれに、麻雀をさせなければならないというハードルが加わっているわけですね。

V林田:今度アニメ化が決まった『凍牌』も、そこら辺はちゃんとやれていると思います。なかなか言うは易く行うは難いことなんですけどね。

龍門渕家の看板に泥を塗るわけにはいかない

——この本で麻雀漫画については書き尽くしたという実感はありますか。

V林田:あとがきにちょっとかっこつけて、新たな研究者が出て本書の間違いを正してもらいたい、みたいなことを書いたんです。それは本音なんですが、現実的に考えると「麻雀漫画をまた調べよう」という人が出てくる可能性はかなり低いので(笑)、いまやれることは全部やっておこうということで注ぎ込みました。そういうものにしないと悔いが残ると思いまして。これやってくれないかな、っていうのをやってくれる人って実際はいないですからね。自分でやるしかない。

——そういう意味では非常に歴史的価値がある本だったと思います。

V林田:ありがとうございます。ただ、あまり褒められて調子に乗ってもいけないなといいますか……。私、大学生のときに福祉施設のボランティアをやっていたことがあるんですよ。人手が足りないから、と頼まれて1年ぐらい。そのときの1年と麻雀漫画の研究をやっていた10年を比べたら、どう考えてもボランティアの1年のほうが人として偉いですよね(笑)。そういう気持ちを忘れてはいけないというか、自分で「自分は価値のあることをやってる」みたいに言ってはいけないなとは思っています。他人が同じようなことやってたら褒めちゃうと思いますけど(笑)。

——身も蓋もないけど、それは正しいと思います(笑)。でも、そこにあるけど誰も顧みない、空気みたいなものに価値を与えたという意味で立派なお仕事をされたと思いますよ。

V林田:私の今までの人生で、最もかっこいいと思える調べ物をされた方は横田順彌先生なんですよ。『日本SFこてん古典』の最初の回で、「世の人々はすぐ作品を分析して〇〇的とか言いたがるけど、この連載ではそういうことはしない」という旨を書かれていて、あれにはめちゃくちゃ影響を受けました。あと、私の好きな漫画に永井豪先生の『ガクエン退屈男』があります。主人公の早乙女門土は、学園を解放するために戦っているということになっているんですけど、途中で彼は「学園の解放はただの言い訳さ。戦う理由がなきゃ戦いにくいからだよ。本当は戦いたいから戦うんだ。殺したいから殺したんだ」って言うんですよね。「調べたいから調べたんだ」という似たような気持ちがあります。

——これからも好きなことだけをどんどんやっていってください! 最後に本について、言い残したことがあれば。

V林田:担当さんにご迷惑をかけたので、その分は売れてほしいです。表紙に『咲-Saki-』の龍門渕透華さんを描いてもらったのは完全に私のわがままで、あとがきでもその経緯について謝ってますけど、担当さんには本当にご迷惑をかけて……。ただ自分は、先ほど話した最初の同人誌の表紙も龍門渕さんで、Twitter(X)のアイコンも10年以上それにし続けていたような人間なので、頼んで無理だったなら仕方がないですけど、頼まなかったら自分の人生に嘘をついていることになるなと。あと龍門渕さんは、正直に言うとすごい人気キャラクターというわけではなくて、これまで一度も単行本表紙とかでメイン張ったことがないですし、今まで2回行われた『雀魂』と『咲-Saki-』のコラボでも登場キャラには選ばれてない。でも私のこの本が売れたら、龍門渕さんはコアなファンがいるんじゃないかと思ってもらえて、次に『雀魂』と『咲-Saki-』のコラボ第3弾があったら登場キャラに選ばれるかもしれない。そういう意味でも売れてもらいたいですね。私のことはともかく、龍門渕家の看板に泥を塗るわけにはいかないので。

——すごい動機だ(笑)。著者のそんな理由を許した文学通信の度量に感動です。

V林田:文学通信さんのサイト見ると、この本だけ表紙がめちゃくちゃ浮いてますからね。本当に、あらゆる意味ですいませんでした!

(文=杉江松恋)

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