痛恨のPK失敗、無念の負傷交代。井上太聖の新たな決意「順天堂大と鳥栖のために、自覚と責任を持ってもう一度やっていきたい」

ついに待望のJ1デビューが、スタメンという最高の形で巡ってきた。

サガン鳥栖の特別指定選手の順天堂大DF井上太聖が、7月3日のJ1第16節(延期分)・横浜F・マリノス戦に4バックの左サイドバックとして先発。だが25分、味方CKの流れで、急に顔をしかめた井上は、主審に申し出たうえでその場に倒れた。そのまま担架で運び出されて、無念の途中交代に終わってしまった。

右足の負傷。ついに待ち望んでいたデビュー戦でのアクシデント。井上のショックは計り知れず大きいだろう。それもそのはずで、今年の彼は度重なる怪我に苦しんでいた。

堀越高校時代に、同じ鳥栖でチームメイトとなったMF日野翔太らと共に選手権ベスト8を経験。快進撃の中心にいたCBは、183センチのサイズと正確なビルドアップ、フィード能力を磨き上げ、順天堂大で世代屈指のDFに成長。今年2月1日に鳥栖内定が発表された。

だが、鳥栖のキャンプで肩を脱臼。そのまま鳥栖に残ってリハビリを続けると、復帰から1週間後に今度は右ハムストリングの肉離れで、さらに離脱期間が長くなってしまった。

「これは大学からプロに行った時にみんなが言うと思うのですが、シンプルに大学生とプロとでは強度が全然違って、そこに身体が耐えきれなくて怪我をしてしまったと感じました。だからこそ、もう一度じっくりとフィジカルを作って、J1の選手と対峙できる身体の厚みを作っていかないといけない。鳥栖のトレーナーの方々やクラブのサポートを受けて、リハビリと身体作りを意識しました」

今年から順天堂大の指揮官に就任した日比威監督が井上の思いを汲んで、大学に戻さずに鳥栖でのリハビリを支持してくれた。周りのサポートに感謝をしながら、井上は真摯に自分と向き合った。「サッカーを見る時間も増えました」と、鳥栖の試合はもちろん、他の試合を見て、自分のプレーを客観視した。

だからこそ、復帰してからは水を得た魚のように、これまで培ってきたものをプレーに反映させてきた。それを見せたのが鳥栖ではなく、順天堂大のユニホームを着て出場したアミノバイタルカップだった。

大学サッカー夏の全国大会である総理大臣杯の出場権を懸けた関東予選に出場するために、6月19日の初戦に合わせて大学に戻った。だが、チームはラウンド16で筑波大に敗れ、出場権の最後の1枠を争う9位決定戦に回ることになった。

9位決定戦初戦の流通経済大戦(2勝しないと9位にならないレギュレーション)で、井上は右サイドバックとしてスタメン出場すると、右サイドで迫力満点のアップダウンを何度も見せ、鋭いクロスでチャンスを演出。さらにカウンターを受けると自陣にスプリントして、ペナルティエリア内に入らせない強度の高い守備を披露するなど、大きな存在感を放った。

しかし、勝負は延長戦でも決着がつかずPK戦に。4人目まで全員成功で迎えた先攻の順天堂大の5人目のキッカーとして登場すると、井上が放ったPKは相手GKにストップされ、万事休す。無念の敗退を喫してしまった。

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「順大で今季初めてチームの全体練習に入ったのは6月の中旬が最初でした。その状況でも起用してくれた日比監督には心から感謝しています。怪我をしてから治療も鳥栖で専念してやらせてくれたことは、本当に感謝しかありません。日比監督から『ずっと鳥栖でやっていることを順大に還元してほしい』と言われ、それに応えようと臨んでいたのですが、最後は僕のせいで負けてしまった。本当に悔しいし、申し訳ない気持ちでいっぱいです」

もちろん彼1人のせいではないが、責任は人一倍感じていた。大会後、再び鳥栖に行かせてくれる日比監督と周りに感謝の気持ちを抱きながら、井上は新たな決意を抱いていた。

「この大会で順天堂大に対する気持ちは本当に強くなりました。同時に鳥栖でも特別指定をいただいて、ずっと帯同させてもらっている身でありながら、鳥栖にも貢献できていない。順天堂大と鳥栖のために、自覚と責任を持ってもう一度やっていきたいと思います」

両方大事にしてやっていくことに腹を括ることができたタイミングでのJ1デビューだっただけに、その覚悟は相当だったはずだ。結果として負傷交代という状況になってしまったが、何度も苦しい思いをしながらも這い上がっていくだけのメンタリティと、積み重ねてきたものが井上にはある。

この出来事をさらに自分の成長のきっかけにして、さらなる飛躍をしていく姿を見せてくれることを、筆者を始め周りは信じている。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)

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