187センチのサイズと“静学”仕込みの技術で躍進。世界基準の右SB・関根大輝、無名の存在から成り上がった男のストーリー【パリ五輪の選ばれし18人】

パリ五輪開幕まで約2週間となった。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介。今回はDF関根大輝(柏レイソル)だ。

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静岡学園仕込みの技術力が目を惹く。187センチの高さがある一方で、スピードも水準以上。戦術理解度も高く、インナーラップとオーバーラップを上手く使い分けながら攻撃に厚みをもたらす。

今年に入って一気に右SBの序列を上げた関根は、今や大岩ジャパンに欠かせないプレーヤーとなりつつある。しかし、1年前までは無名の存在だった。

高校時代は静岡学園でプレー。2年次には1学年上のMF松村優太(鹿島)や同級生のDF田邉秀斗(川崎)らとともに高校サッカー選手権を制覇したなか、自身はCBの控えで出場機会は1試合に留まった。

最上級生となった2020年度はレギュラーの座を掴んでアピールするチャンスだったが、新型コロナウイルスの感染拡大で活躍の場を失ってしまう。夏のインターハイが中止となり、リーグ戦も開幕が9月に延期に。最後の選手権も県予選準決勝で藤枝明誠に0−3で敗れてしまい、自身の名を全国舞台で轟かせずに高校サッカーに別れを告げた。

卒業後は拓殖大に進学。CBとして入学したが、1年の終わりに右SBにコンバートをされる。これが自身の運命を大きく変える契機となった。

ここから一気に頭角を表すと、大学2年生だった2022年3月のデンソーカップで全日本大学選抜入りを果たす。翌年4月にはパリ五輪を目ざすU-22日本代表候補(現・U-23日本代表)に初招集され、5月には2025年度からの柏レイソル入団が内定。大学3年生の時点で早々と進路が決まった。

同年6月には主力組が揃ったU-22日本代表の欧州遠征にも名を連ね、大岩剛監督の構想に入るように。そして、見逃せないのが、同年9月から10月にかけて開催されたアジア競技大会での活躍だ。

Jリーグで出場機会が少なかった選手と大学生を中心に構成された“もう1つのパリ五輪世代のチーム“で右SBとして一気に株を上げた。決勝ではイ・ガンイン(パリSG)らを擁する韓国に1−2で敗れたものの、自身初の国際大会で経験値を蓄積。年明けには拓殖大サッカー部を退部して1年前倒しての柏入りが決まり、開幕からレギュラーポジションを掴んだ。不動の右SBとして躍動感あるプレーを見せ、飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け上がった。

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誰もが驚くようなスピードで成長を遂げた関根。その成長を示すかの如く、パリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップでも目覚ましいパフォーマンスを披露する。

コンディション不良で合流が遅れたDF半田陸(G大阪)に代わって、レギュラーの座を射止めると、6試合中5試合に先発出場。抜群の攻撃センスを武器に右ウイングの山田楓喜(東京V)と好連係を見せ、チームに欠かせない存在に昇華した。

また、中国とのグループステージ初戦では前半早々にCB西尾隆矢(C大阪)が一発退場となり、一時的にCBに入ってポリバレントな能力も発揮。様々な役割をこなして優勝に貢献し、大型SBとしてパリ五輪での活躍が期待される男になった。

U-23アジア杯の決勝後に自身の成長を振り返った関根は、こんな言葉を残している。

「正直、1月の初めまでは大学生だと思っていましたし、この2、3か月で絶対に人生が変わっている。今後の自分のキャリアに絶対に繋がるはず。このアジアカップの期間もそうですけど、コツコツ積み上げてきたものが、だんだん出せるようになっている」

積み重ねた努力を信じた結果、誰もが驚くような成長を遂げた。だが、戦いはまだ終わっていない。自身初の世界大会が待っている。

己のため、日本で応援してくれている人のため。そして、何より自分を抜擢してくれた大岩監督のために戦いたいと意気込む。

「絶対に大岩さんをオリンピックに連れて行きたい」と話していた背番号4の挑戦は終わらない。自身初の大舞台でプレッシャーはある。だが、今までもそうした状況を楽しみながら、自分の力に変えてきた。恐れることはない。新進気鋭の右SBは持ち前の攻撃力を武器に、新たな世界に飛び出す。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)

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